数日前、日本のインターネット新聞に『植木等と昭和の時代』と題する企画展が三重県で開催されるというニュースが載っていた。1960年代、映画や「スーダラ節」の歌などで日本中に『無責任』を売りにして笑いを振りまいたコメディアン植木等さんの没後10年にあたり出身地で記念展をおこなうのだそうだ。
 植木等さんが一世を風靡した1960年代の日本は高度成長期にあたり、人々はがむしゃらに働き、生きた時代であり、皆が彼の存在に生きる自分を重ね、せめてもの憂さを晴らしていた時代だった。
 植木さんの数あるヒット曲のひとつに『スーダラ節』がある。この歌は植木さんが歌い、日本中で大ヒットした。(詞:青島幸男、曲:萩原哲晶)『♪チョイト一杯のつもりで飲んで/いつの間にやらハシゴ酒/気がつきゃホームのベンチでゴロ寝/これじゃ身体にいいわきゃないよ/わかっちゃいるけどやめられネエ…』
 この歌は一見(というより、どう見たって )ふざけた退廃的な歌に聞こえる。ある時、私は雑誌に植木さん自らが寄せた文をみつけ、何気なく読んでみたら、そこにはこの「スーダラ節」と彼の父親とのエピソードが書かれていた。そしてこの歌には人間に対する深い思いが込められている事実を知り、なるほど、そういう側面もあるのか、と目からうろこが落ちる思いがし、以後、私は時々友人たちと人生を語る時、この話を引用させてもらうことにしている。
 彼の父は三重県の浄土真宗派の寺の住職であり、スーダラ節について、この歌詞は人間の弱さを見事にいい当てている。開祖親鸞の教えに通じるものだ。親鸞は飲む(酒)、打つ(賭博)、買う(色)は人の業(ごう)であり、悲しい性(さが)であると認めたうえで、人としてどう仏の道に生きるべきかを問うているのだという訳だ。
 たかが無責任なコミック・ソングと思うなかれ、この歌は解釈の仕方によっては100遍の説教よりも説得力のある人間修行の言葉でもあることを知らされた。ちなみに植木等さん自身も仏道修行をしたことがあるほど謹厳実直な性格の人だったという。【河合将介】

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