暮れの新聞で、五木寛之氏のインタビュー記事を読んで愕然とし、なるほどと目が覚めた思いをしました。五木氏は少年期に平壌で終戦を迎え、周囲に大量の死を見る過酷な引き上げ体験を持ち、長年人間の生と死について深く考えてきた直木賞受賞作家です。
 彼は、世界でもっとも高齢化の進む日本は、650万人もの団塊の世代が70歳代に入り、やがて大量の要介護老人と大量の死者が周囲にあふれかえる多死社会の時代がくるというのです。いわれてみればその通り、ベビーブームといわれた戦後の1947年から49年の3年間で出生数800万人超の人口爆発となったこの世代は団塊の世代と呼ばれ、優生保護法を成立させ、避妊・中絶・不妊手術などの産児制限を取り入れざるを得ない時代に生まれました。
 団塊の世代はその後も年代が上がるに従って、学校増設・多人数クラス、集団就職、人口の都市集中、都市圏の拡大や団地の出現、第2次ベビーブーム、核家族化となって次々と社会の形態を変えてきました。その団塊の世代がいよいよ70歳を超え、健康寿命が尽きて要介護老人となり一斉にこの世から退場してゆくのです。高齢化社会に加え核家族が進んだ社会は、遠距離介護、老老介護、介護疲れによる自殺や殺人などのニュースが絶えません。若者より高齢者の多くなった社会では、身体が次第に崩壊していく中、肩身を狭く生きねばならず、自分で孤独に終末を迎えざるを得ないのです。そんな覚悟を持たなくてはいけない時代の到来は、五木氏が語るように、個人としての老いや死の問題から、宗教も含め社会全体としてどう受け止めていくかという課題を突きつけられています。
 五木氏は、多くの人が家族との絆も薄れる中で、自らの老いや死と向き合わねばならない時代、子や孫に囲まれて息を引き取るようなことは、もうあり得ないと思ったほうがよい、最後は一人でこの世を去る覚悟を持たねばならない時代といえると語っています。
 生を受ければ必ず迎える死。後期高齢者の一人としてどう「一人で逝く覚悟」を決めるか、大きな問題を突きつけられた記事でした。【若尾龍彦】

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