磁針欄に拙文を書き始めて6年。振り返ると始め3年程はほとんど毎回日本語を題材に独断勝手文を続けていた。やまと言葉という言の葉を愛する者として母国語である日本語に馴染み、その奥深さを味わえる日本人に生まれた幸せを思う。さて今回は勝手雑談綴り。
 英語や西欧言語は文法が確固と論理的で学術論文に向いているが情緒性は今一歩。日本語は逆に叙情性高く文法の無いのが文法のような融通無碍のいい加減さが面白い。ちょっとという言葉、一寸とも書くが本来少しの意味。これが使われる時は字面のとおり少しの意味と、逆に正反対のかなりとか大いにの意味と、さらにはあのーのような意味の無い言葉に使い分けられる。曖昧日本語の典型例。英語ならa little、 a fewと言えば少しの意味しかない。謙遜で使う場合はあるが反対の意味はあり得ず、あるとしたら全部が狂う。日本語は違う。一寸深刻だ、一寸まずいぞ、など言う時は実際は少しではなくかなりの意味。また一寸にはあの、その的な無意味な言い方もある。テレビで人が「親父が最近一寸…死んじゃってね」と言ったのには苦笑した。英語は各単語は本来の意味と反対の意味は持たず論理的だが日本語は変幻自在。
 少々、これは字面は少しの意味もあるが同時に皆が知るように大いにの謙遜言葉。空手を少々やります、これは相当やるの意。僕の友人が囲碁の初心者時代に碁会所で初対面の高段者と碁を指す時「少々やります」と言ってしまい、相手は緊張した。始めたら友人はド下手で恥をかいた。
 確か…あれは、と言う時は確かではない時。本当に確かの時はそうは言わない。
 しかし、はその前の文旨や相手の発言に反意を述べる時の語で英語のbutだが、日本語ではそれとは別に否定でない単なる「それにしても、ところで」的な使い方もある。しかし暑いですな、とか言う場合で話題を変えたりするが否定でも何でもない。英語ならbutは否定の始まり語で単純明快にbutはbut。友人で日本語の癖らしく英語を話す時に必ずbutで文を始める男がいたが相手の米国人には意味が分らなかったろう。今もやっているのかなと懐かしい。
【半田俊夫】

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