私たちが食べているパンや麺類を作るための小麦。以前は収穫量が安定しないものでしたが、さまざまな気候や風土に合うように品種改良がされて、現在では世界中で作られ食べられています。その元の品種になったのが、1935年に登録された小麦農林10号(英語名Norin Ten)です。小麦は、草丈が長いと風雨や台風で倒伏する被害が多発します。ですが農林10号は背が低くなる遺伝子を持ち、十分な養分を与えられても背丈が高くなりすぎないため、風雨に耐えて倒れにくく、収穫が増えるという利点を持ちます。一方で病害に弱く、日本国内では東北地方を除いて広くは普及しなかったのですが、戦後GHQによる遺伝資源収集によって米国に渡り、これが米国で広く使われる小麦、ゲインズ種の親、原種になったのです。
 同時期にメキシコにも持ち込まれ、国際トウモロコシ・コムギ改良センター(CIMMYT)の研究グループによって、育成が開始されました。そして米国のノーマン・ボーローグ博士は、小麦農林10号とメキシコ品種の交配から、背の低い品種群を育成しました。これら短稈多収品種がアジア各国をはじめ世界各国で栽培されるようになりました。この現象は後に「緑の革命」と呼ばれ、小麦の生産性向上に大きな貢献を与え、その功績によりノーマン・ボーローグ博士はノーベル平和賞を受賞することになるのです。
 この農林10号の育成者こそ、富山県の貧しい農家に生まれた稲塚権次郎氏です。彼が作った小麦は、世界中に広がって食糧危機を救ったのです。1981年に訪日したノーマン・ボーローグ博士は、晩年の稲塚氏と対面しました。世界の小麦を変えた二人が手を握り合った瞬間がそこにあったのです。
 このほとんど知られていない日本人の快挙が『NORIN TEN』として映画化されました。そして、米国とメキシコのCIMMYTで凱旋上映されることになりました。「人間は、生まれて、生きて、死ぬわけでしょ。生きてる間に夢をぶつける人間は一番幸せだと思います」と主演の仲代達矢氏が上映に対してコメントしました。稲塚権次郎氏が夢にかけた思いを学びたいと思いました。【朝倉巨瑞】

Leave a comment

Your email address will not be published. Required fields are marked *