ドジャースの前田が好投した先日、取材先の球場で日本人のフォトグラファーから「フランセス・ハシモトさん、亡くなってたんだね。知らなかった」と言われた。「すごい人だったね」と、うなずき合った。
 羅府新報に入社してから、さまざな人を取材し、考え方を学ばせてもらった。ビッグな人ほど控え目で、自らの輝かしい業績に関心はない印象がある。ハシモトさんのような影響力のあった日系の故人にもっと敬意を表すべきである。
 ホノルル空港がつい最近、ダニエル・K・イノウエ国際空港と改名されたことが記憶に新しい。大物の名を冠した通りや広場、学校そして、銅像と記念碑を建て、外の社会に声高に訴えれば、日系の存在感は高まる。観光名所となって、町おこしにもなる。生前は拒んだ故人も、社会のためなら、と納得してくれるに違いなく、偉人をもっと担ぎ出せばいい。
 小東京では、日米文化会館は広場をイサム・ノグチ、劇場にはジョージ・アラタニさんの名をとって改称した。お洒落なコンドに挟まれた私道は、強制収容所の生活を写真に記録したトーヨー・ミヤタケ、命を救われたユダヤ人は恩を忘れず、立派な銅像を建ててくれた。パスポートを手渡す杉原千畝像と並んで若者が記念撮影する光景を日本人として誇りに思うのは、私一人ではないだろう。ただ一つ、二宮尊徳の碑銘プレートは、盗まれたまま復元されず、15年以上も日系社会の心にぽっかりと穴が空き寂しい。
 今日13日は、諸団体で奉仕を指揮し、52歳の若さでこの世を去ったナンシー・キクチさんの遺志を継ぐ有志が企画した「ボランティアの日」と題した大規模な小東京の清掃活動が行われる。このような記念イベントを頻繁に催せば、人がもっと集まり、活性化につながる。杉原千畝となれば、集客効果は抜群。生誕祭などには、何千、何万というユダヤ系が来てくれ、テレビや新聞が取り上げること間違いなし。
 日本食の全米普及に執念を燃やし、先頃永眠した共同貿易の金井紀年会長は、握りずしを小東京で最初に紹介した傑物である。「握りずしの米国発祥地」とする史跡を目指すのもいいだろう。すしブームの立役者に捧げたい。【永田 潤】

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