明治天皇が帆船での東北巡幸から横浜港に戻ってきた7月20日は、海の記念日として長く親しまれていた日でしたが、20年程前からは、「海の恩恵に感謝すると共に、海洋国家日本の繁栄を願う」日として、海の日が祝日になりました。そんな海の日に、世界の海で活躍した浅見紳太さんに会いました。
 浅見さんは、日本の海運会社の船長として日本とアラスカの直接交易交渉に成功し、その後ロングビーチ港のコンテナターミナルの近代化に多大な貢献をしました。まさしく日米をつなぐ船頭をされた方で、多くの人は尊敬の念を込めて、『キャプテン浅見』と呼びました。
 浅見夫妻は横浜の埠頭に近く、窓を開けると海の匂いや汽笛の音を感じるメディカルホームに静かに暮らしていました。とはいっても施設の中では絵を描いたり、エクササイズ、脳トレ、映画や音楽鑑賞、コーラス、書道などの参加で忙しいとのこと。とにかくどんなアクティビティーにも参加することで施設内では有名らしく、「今では中心人物になってしまったよ」と笑って話す姿には、どんな難しい通商交渉や航路開拓にも挑戦してきたキャプテンらしい好奇心の強さとリーダーシップが健在でした。奥さまの敏子さんも近くの三渓園に行って鯉に餌をあげるのが好きで、また行ってみたいと窓の外に思いを馳せていました。
 現在孫が7人、ひ孫が5人いるとのこと。アメリカで骨を埋めるつもりで、見晴らしの良い場所に墓まで買っていたそうで、今でもアメリカへの郷愁はあるようですが、日本で近隣に暮らす家族に囲まれて暮らすことの魅力も強く、幸せそうなお二人の生活ぶりを感じることができました。そして、もう会うこともないだろうと思っていた何十年も昔の知人たちが浅見ご夫妻を訪ねてくるので、それがとても嬉しいとのことでした。
 人間は誰かに支えられて生きています。自分がどこに住むのかということに心迷わせることもありますが、誰かを支え、誰かに支えられる人たちと心を通わせる関係を持ちながら、感謝をして暮らしていくことの方が、本当は大切なのだと思った訪問でした。【朝倉巨瑞】

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