先日、夜のコンサートに高齢者を誘い、一緒に楽しんだ。人生の先輩たちと過ごす時間は、彼らの生の切実な声が聞け、私の行く道を照らしてくれる貴重な一時となる。
コンサートの歌い手はデビュー45年、一つの道を究め続ける。その実力と多才さに、心底、感服した。彼の作詞作曲した44年前の名曲は、われわれを青春時代にタイムスリップさせる。純粋で怖いもの知らずだったあの頃。甘酸っぱい思い出と活力が蘇った。
歌い手は、自作の曲を歌い、バイオリンを奏で、ギターを弾きならし、マイクをもって、語り掛ける。一人三役をこなしながら、合間に見事に笑わせる。大笑いした後に、じわりと涙が滲んでくる。「ま、いろいろあるけど、明日も頑張るか」という気にさせる。文句なく凄いコンサートだった。これはやはり、計算し尽くされた舞台運びの裏に、本気の人間愛があるからだろう。
帰宅を急ぐ夜の高速の車中で、皆おしゃべりになった。さび付いた歯車は、歌という潤滑油をさされ、回り始めた。外出すれば、新しい経験をし、たくさんの知らない人に会い、刺激がある。人混みの中に知り合いの顔を見つけ、にこやかにあいさつを交わす。曇天の頭脳の中に風が通り抜けるさわやかさがある。頭の活性化に良いのは分かっているのだが、問題は足なのだそうだ。
運転ができなくなれば、どこにも行けなくなる。自由に外出できない。行動範囲が狭まる。それに慣れ、年齢だから仕方がないと諦め、やがては社会への興味を失ってゆく。
抗うのが難しい自然の流れだ。これが車社会の米国の最大の欠点だ。日本であれば、電車やバスを乗り継ぎ、近場なら健脚を発揮し、どこにでも行ける。米国の欠点をどう克服するかが、われわれの課題だ。メトロを利用する、集団で出かける仲間を確保する、など工夫はできる。速足で歩く、人と交流する、新しいことを学ぶ、生きる目標を持つ、明るい外見を保つ。アルツハイマー予防にすすめられている事柄だ。私も一員である苦悩するシニアもなかなか忙しい。【萩野千鶴子】