義兄の葬儀に新緑の津軽平野を訪れた。広々とした津軽平野はちょうど田植え時期、田んぼの畦道に沿って縦横に水路が張り巡らされ、豊かな水がとうとうと流れて田んぼを潤してゆく。その津軽平野の南西部に、まだ8合目まで雪を冠った県内最高峰・岩木山が聳え、津軽平野のどこからも仰ぎ見ることができる。その秀麗な姿は津軽富士と称され青森県民の誇りである。8合目まで有料自動車道・津軽岩木スカイラインが通じ、さらにリフトで9合目まで行ける。この山頂に登ったのは50年も昔、亡くなった義兄に案内されて辿り着いた山頂からの雄大な絶景は今も鮮烈に記憶に残っている。何しろ晴れたら青森一帯はもちろん、北海道の一部まで一望できるのだ。
 東北は民謡の郷と聞いていたが、結婚式で義兄の「山唄」を聞いた時にはこれが東北の民謡かと痺れた。義兄はお酒と民謡が大好きで知られていた。その上の兄は獅子舞の鉦の名手、夜の宴会ではお囃子の仲間が揃い座敷で大宴会、初めは気を配ってくれた人たちも、酔いが回れば完全な津軽弁でまったく通じない。
 無類の人好きの義兄は訪問するたびに、恐山、十和田湖、八甲田山、奥入瀬渓谷と方々へ案内してくれた。通夜、告別式とこんな義兄を知る多くの村人や親戚の人たちが集まった。昔から冠婚葬祭は地域の絆を強めてくれる。
 葬儀の翌朝、早朝に水をたたえて稲の植わった田んぼを見ながらの散歩はなんとも気持ちが良い。点在する家々の庭には色鮮やかな紫のアヤメやジャーマンアイリス、石楠花や牡丹、白や紫の藤の花やツツジが咲き乱れ目の覚めるような柿若葉が美しい。今まで何度も訪れているがこの時期に来たのは初めてだ。
 田植えといっても最近はトラクターで耕し代掻きもする。田植えも田植機に稲苗をセットし運転するだけ。繁忙期のはずが田んぼに多くの人を見かけない。「生きかはり死にかはりして打つ田かな」(村上鬼城)とうたわれ、代々受け継いで季語にもなっている田打ちも機械に変わった。農業も変わり、人々の暮らしも村も町も大きく変わる。そんな変化を津軽に感じた。【若尾龍彦】

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