3月22日にロックダウンが発令されてから、間も無く1カ月。鳥籠のセキセイインコでもあるかのように部屋に軟禁され、見慣れきった平凡な風景を窓から眺める日々が続く。ふと見ると、裏向かいの家の窓に足をそろえた黒白猫が外を見ている。たまにこちらを見ては「調子はどうだい?」と言っているかのようだ。そう我輩も猫である。
 しかし、テレビを見ても、友達と話しても、話題はコロナばかり。従来の習慣、システム、概念が次々に崩れ始めてきた。ニューヨークではアンドリュー・クオモ州知事が、結婚許可証の取得の面接をビデオ会議で許可し、人気歌手のテイラー・スウィフトは、早々と年内のコンサート活動を中止、外出自粛を呼び掛けた。ライブコンサートはしばらく見られないだろう。
 個人レベルでは、地下鉄やUBERなどの移動費がゼロになり、外出自粛で携帯電話の使用頻度も激減。マスクと手袋はファッションの一部となり、果ては友人の四十九日法要もLINEグループを使って海外から参加可能という。
 コロナ収束がいつであろうと、社会は以前のように機能しない。ワクチンができても、新しいウイルスが出現しないとは断言できない。出費も収入も減りミニマリストの生活にも慣れてきた。必要なのは、収入源と生きがいを見つけること。
 だから、今は健全な精神状態を保つために、音楽や読書にふける。それは考える時間や、時に生きるヒントを与えてくれるからだ。昨夜、読んだ書に「悟り」の文字があった。ロックに耳を傾けると、1971年にフラワートラベリンバンドの故ジョー山中が『SATORI』で、「The sun shines every day」と叫び、2009年、ザムザン・バンシーの辻仁成は同名異曲で「Jesus」と雄たけびを上げた。
 自分なりに悟れば、神に助けを求めるような瞬間があろうと、毎日陽は昇る。人間らしく生きるなら、どん底や死を恐れず、太陽のごとく、自分自身を見失うことなく、輝き続けること。答えは全て自分の中にある。
 ふと外を見ると、猫がいなくなっていた。おなかを空かせてペットフードでもねだりに行ったのだろう。悟っているのは、猫の方か。【河野 洋】

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