私の父は、フィリピンで生まれた中国人で、1970年代にアメリカに移住している。そして母はノルウェー人で、70年代まで、アメリカとノルウェーを行ったり来たりしていた。
私は、ミネソタ州生まれのフロリダ州育ち。日本人男性と結婚し、娘が1人いる。娘は、日本人と、(中国とノルウェーの二つのルーツを持つ)私とのハーフというわけ。
作品を作り始めた頃は、アジア女性の少し曖昧なアイデンティティーに焦点を当てたいと思っていた。人は、私の顔を見たとき、中国人ではなくアジア人として認識する。
考えてみると、モダンアートの中で、自分が映り込んでいるような感覚を感じる作品はあまりなかった。中国の古い巻物のような作品に自分を見ることはあっても、現代的な作品にはない。たとえ、自分のアイデンティティーを反映したモダンアートがあったとしても、そこには西洋的で、女性に対する男性の視線、つまりフェティシズム化された何かがあるように感じた。私は、それを自分の作品で表現したいと思った。
大前提として、私の作品は、ルーツや文化、アイデンティティーと結びついている。作品を通じて、私はそれらを理解し、そして娘も、何が彼女を形成しているかを知ることができればよいと思う。
—「ハイフン・ゼノフォビア」コレクションは、APIの差別に対峙しているが、何か個人的に差別を受けたことはあるか。
私が初めて差別を経験したのは3月。人通りの多い市中で壁画を描いていると、誰かが自転車でやってきた。私は壁画を描くために大きなリフト(昇降機)に乗って上の方で作業していたのだが、声を掛けられたのでリフトを降下させた。私は、パブリックアートに興味がある人と話をするのが大好きなのだ。
ところが、その男性は、私に「おい、マスクが違うじゃないか!」と言い放った。私が「どういう意味?」と聞き返すと(私はスプレーペイント用の保護マスクを着用していた)、彼は「お前はアジア人だから、N95マスクをしなくてはいけない。もしかしたら新型コロナウイルスに感染しているかもしれないだろう」と続けた。私はその言葉にショックを受け、何と答えればよいのかと考え込んでしまった。
私は、時々、こういった状況で自分の感情を抑圧してしまう。向きになって、相手をエスカレートさせたくないからだ。だから「ああ、そうだね。N95のマスクは、ウイルス対策に最適ね。覚えておくわ」と答えた。ほかに何と言えばいいのか分からなかったのだ。ただ、事を荒立てず、いつも通りに過ごすしかなかった。その後、彼はしばらくその場に留まり、私を不愉快な気分にさせた。
また、その事件から数週間後、新型コロナウイルスの世界的流行が深刻化し、ロックダウンが発令されそうになったため、私は、スーパーマーケットに買い物に行かなければならなかった。メディア関係の知人が、「2週間以内にはロックダウンになり自宅待機となるので、備蓄をした方がよい」と言ったのだ。
また、器物破損や破壊行為の映像も、よく目にするようになった。移民が経営する店に、「中国に帰れ」とか「新型コロナウイルスを持ち帰れ」と書かれた紙が貼ってあったり、店舗の外壁にスプレーで落書きされたりしているのを見たことがある。
このような出来事に遭遇すると、本当に悲しい。一体アメリカンドリームとは何なのか。アメリカで、より多くのチャンスを得ても、白人と同じように扱われないのか。アメリカは白人が特権を持つ社会であるように感じる。私は決して白人にはなれない。ずっと「ブラウン」のまま。だから白人と違った経験をすることになる。私の価値は、肌の色では決まらないというのに。
—「ハイフン・ゼノフォビア」コレクションを描いた理由は。
今、世界中のアジア人がコロナ禍で起きたことを書き込めるウェブサイトがある。そのサイトで、道を歩いているときに唾を吐かれた人たちの体験談を読んだが、その人たちは何も言わずに家に帰って泣いたという。
彼らのような「沈黙の犠牲者」は、声を上げることなく、感情を抑圧してしまう。身近な家族や親しい友人には話しをしたかもしれないが、衆目を集めることはしない。もちろん、人によってトラウマの対処法はそれぞれ違うとは思う。
だから、私は自分の作品で、沈黙の犠牲者たちの気持ちを代弁したい。作品を通じて、人々の意識を高め、人種差別に対するポジティブな変化が促進することを望んでいる。
また、インスタグラムで、映画「ムーラン」のポスターに「武漢製の毒(Toxic. Made in Wuhan)」とスプレーで落書きされている投稿を見た。涙が溢れ、私はこの出来事について作品を作らなければならないと思った。こんなことが現実に起こっている。もし私が街中でこれを見たら、どんな気持ちになるのか想像もつかない。
こうして、私の作品の核は生まれた。今も、差別は続いている。アジアに対する人種差別は昔からあったが、武漢で発生した新型コロナウイルスによって、差別は増幅されている。こんなときだからこそ、私は作品を通じて、差別への思いを、もっとコミュニティーに共有したいと考えている。
歴史においても、私は今、自分が正しい側に立っているのを知っている。芸術というある種の公共のプラットフォームで「現実」を発信し、今起きていることを反映しているのだ。現実について共に語ることで、私たちは変化を生み出すことができるのだと思う。
—コレクションのタイトルに「ハイフン」と「ゼノフォビア」という言葉を選んだ理由は?
—コレクションの中でも「サンクスチンクス(Thanks Chinks *、中国人を表す侮蔑語)」が目を引くが、この作品に込められた象徴性と、言葉を選んだ理由は。
アメリカのコンビニで撮られた写真を見たことがある。そこには、「サンクスチンクス」と手書きで書かれた医療用マスクをつけ、おそらく元海兵隊員だと思うが、彼は笑顔でポーズしていた。
その写真を見たとき、「かなりインパクトがあるな」と思った。これが今の社会を表している。一部には、自分の強い人種差別を気後れすることなく声に出せる人間もいるのだと。それは、見ていてつらいものだった。
それで考えた。もし、アジア人がこのマスクを付けて対峙したらどうだろうか。「僕(私)はアジア人差別に立ち向かう。お前をにらみつけ、お前が何を言おうと、何の影響もないことを見せてやる。僕(私)は、平和と愛と平等を訴える」としたら、一体どうなるのだろうか。
この作品に描かれているハートとピースサインは平和の象徴。そして、龍は調和や幸運、たくさんのポジティブなことの象徴だから、これを加えることで、調和を具現化し、世界にポジティブさをもたらすことができるのではないかと思った。
イラストの背景には、日本の雑誌や新聞の切り抜きを使用した。このコラージュは、いろんなストーリー性を持っていることを表しており、どんな事が起こっても、私たちはいつでもストーリーを再編成することが可能で、さらに良い方向に変えることができるという意味合いを持たせている。
—アメリカに住んでいる人々に伝えたいメッセージを。
思いやりや人間の存在について語りあう機会を持つことが大切だと思う。ウイルスは人を選ばない。誰もがかかる可能性があるということを理解しないと。共に、心を寄せ合い、純粋に他人を思いやることが重要なはずだ。人の命は何物にも代えがたいのだから。
BLM(ブラック・ライブス・マター)に関連しては、もし差別された経験があったとしても、どんな痛みを感じるかは人それぞれ違う。実際その心情を理解できなくても、私なりにサポートをしたいと思っている。
アジア系米国人に伝えたいこと。まず、アメリカ開国後、多くの移民が渡米し、私たちのために移民の道を大きく切り開いてくれたことを認識してほしい。そして、私たちだけでなく、将来を担う世代のためにも、「アジア系-アメリカ人」としてハイフンでくくられていることをどうやって受け止めるのか、白人と同等の権利はあるのか、さらに、ほかの人たちとつながって、この世界をもっと平等に、もっと公平になるようにするにはどうしたらよいのかを考えてほしい。
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エレナさんについての情報および作品に関する詳細は、オフィシャルサイト—
www.elenaohlander.com
【ミッシェル・ティオ、訳=砂岡泉】