美容院にはもう半年以上行っていない。今までは定期的に毛先を整えたり、カラーやトリートメントをしてもらったりしていた。ネイルサロンやマッサージ、スーパー銭湯にも行かなくなった。服も化粧品も最近ほとんど買っていない。
 当たり前だった事や物がなくても気にならなくなった。よりシンプルでミニマルな生活。何の不自由もない。でも、なくなってしまうと困るものがある。
 雨がしとしと降って静かな日、人の少ない喫茶店で仕事をしていた。イヤホンから70代老人の必死の訴えを繰り返し聞いていた。彼の言葉はとても力強くエネルギッシュ。音が割れて聞こえるほどだった。
 声の主は香港の蘋果日報(アップルデイリー)の創業者のジミー・ライ氏。新しく香港で施行された国家安全法で逮捕され保釈中の身だ。彼のインタビューをラジオ用に編集していた。リスクを冒してまで、世界中のメディアのインタビューに応じるライ氏。香港でいま何が起きているか説明し、自由に対する信念を語り、国際社会から協力を得ようとしていた。
 ライ氏の逮捕容疑は海外勢力との共謀罪。本人はもちろん否定している。相手をお金で買収していないし、香港の状況について話しているだけ。これは「言論の自由」だ、と。
 イギリスの植民地だった香港は1997年に中国に返還された。「一国二制度」のもとで民主主義を維持してきた。しかし、言論や集会の自由といった、今まで法律で保護され、当たり前のように享受してきた権利が中国によって脅かされはじめている。
 海外メディアの取材に応じるモチベーションはどこにあるのかを尋ねられると、「香港に関心を持ってもらうことが何よりも重要で、それがこの現状を変える力になる」「香港は自分にとって特別な場所。その香港に今こそ恩返しをしたい」と強く訴えていた。
 香港が直面している状況は、いまの日本とはあまりにもかけ離れている。自由が奪われることがどんなものなのか、自分ごととして考えることはなかなか難しい。
 静かで落ち着いた喫茶店で耳から響く必死の訴え。このギャップに戸惑いながら、今の自分にできることはこの編集を仕上げることだと言い聞かせた。【中西奈緒】

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