旭日双光章が授与されるグレン・タナカ氏(写真左)とデニス・オオツジ氏
 日本政府は11月3日付で、令和2年(2020年)秋の叙勲受章者を発表した。在ロサンゼルス日本総領事館管轄区域関係者では、元オレンジコースト・オプティミストクラブ会長のグレン・タケオ・タナカ氏とサンディエゴ日本友好庭園協会会長のデニス・ユキオ・オオツジ氏のそれぞれに旭日双光章が授与される。

 タナカ氏は日米間の友好親善に寄与し、オオツジ氏は米国における日本文化の紹介および対日理解の促進に貢献した功績が認められた。両受章者の対日功績を紹介する。

グレン・タナカ氏(63)
【旭日双光章】

 グレン・タナカ氏は、40年以上にわたりオレンジ郡アーバイン市などで農業経営を通じて高品質の野菜や果物を提供してきたばかりでなく、都市近郊にある利点を生かして子供たちへの食育や農園を開放した収穫ツアーなど、地域活動にも貢献している。また、東日本大震災の被災農家や被災地域で農業を志す学生への寄付活動を続けている。
 タナカ氏は、福島県をはじめとした東北地方を支援するファンドレイズ・イベント「Walk the Farm」を、同氏がオレンジコースト・オプティミストクラブ会長時代の平成23年(2011年)に創設した「Orange Coast Optimist’s Helping Farms Feed Families」で主催している。同イベントは参加者に対して、農場を歩いて回り季節の農作物などを楽しむ機会を提供するとともに、東日本大震災の被災地の現状を知らせる展示コーナーを設け、震災の理解促進を図るものである。また、イベントを通じて得られた収益金は福島県をはじめとした東日本大震災被災者に寄付されている。

旭日双光章を受章するグレン・タナカ氏
 同イベントは、平成23年(11年)の開始以来、のべ5千人以上のボランティアの協力を得ながら運営され、1万5千人以上が参加した。この結果、80万ドル以上が日本に寄付された。令和2年(20年)はコロナウイルス感染症の拡大により、イベントは中止となったものの、同氏の働きかけにより2万ドルが日本に寄付された。寄付金は、平成23年(11年)の東日本大震災の地震や津波で被害を受けた東北地方の農業者(これまでに20人)、また、岩手大学や福島大学で農業を学ぶ学生8人に対する奨学金として届けられている。
 タナカ氏はオレンジコースト・オプティミストクラブの会長時代、特に青少年育成に積極的に関わってきた。平成24年(12年)、同クラブ内に「Youth Advisory Committee」を設立し、青少年会員の自主性を尊重しながらも、イベント内容やロジスティクス面での組織的なサポートが可能となり、活動の継続性が担保された。また、同氏の会長時代の平成24年(12年)、同クラブの取り組みの一環として、日本の中高生を当地に招へいする交流活動を開始した。毎年、30人〜120人程度の生徒たちを「Walk the Farm」に招待するなどし、当地の中高生との交流を行っている。
 タナカ氏は、父親との共同経営時代を含めて40年以上にわたり田中ファームを経営し続け、農産物の生産のみならず、幅広い消費者に対して農業に触れる機会を提供している。昭和63年(1988年)に地元の子供たち向けに農業体験を開始し、平成10年(98年)には農場を一般に開放し、教育ツアーやアグリツーリズムとして開始した。現在では、年間3万5千人の子供たちを含む10万人が農業体験を行い、タナカ氏は農業の学習指導や後継者の育成に努めている。
 タナカ氏の貢献は地域コミュニティーにも注がれている。同氏は長年、日本文化を継承するため、田中ファームにおいて新年の餅つき大会を開催しているほか、南カリフォルニア日系企業協会(JBA)などとも連携してイチゴやカボチャなどの収穫時期には数多くの収穫祭を企画・運営している。特に毎年10月に開催されるカボチャ収穫期には10万人もの来場者が訪れる一大イベントとなっている。
 タナカ氏による地域コミュニティーへの長年の貢献は数々の団体によって評価されており、平成29年(17年)には大日本農会(公社)から緑白綬有功章を受章している。

デニス・オオツジ氏(77)
【旭日双光章】

 デニス・オオツジ氏は、50年以上にわたり造園業および都市設計に携わってきた。由緒ある世界的な造園家の団体である米国ランドスケープアーキテクト協会(ASLA)の会長も歴任し、情報発信、唱道や教育などを通じて造園業を推進してきた。また、日米の友好を象徴するサンディエゴ日本友好庭園協会の会長として、精力的に日本の文化・伝統の普及に尽力してきた。さらに、同氏は、マンザナ日系人強制収容所の史跡モニュメントの設計と管理計画および「全米日系米国人記念碑」の建設促進を通じ、日系人の強制収容の歴史の伝承へ貢献した。 

旭日双光章を受章するグレン・タナカ氏
 オオツジ氏は、平成11年(1999年)にサンディエゴ日本友好庭園協会の理事に就任し、平成21年(2009年)以降、現在に至るまで会長職を務めている。平成27年(15年)に完成した同庭園の拡張事業では、ランドスケープアーキテクトとして革新的な設計案を提案し、日本文化・伝統の普及にさらなる価値を加えただけでなく、会長として長年築きあげた人脈と優れたマネジメント・スキルを駆使し、サンディエゴ市と協力しながら、事業の推進に多大な貢献をした。また、同氏は、国際的な寄付を含む610万ドルを調達するなど、主要な資本調達キャンペーンの指導的役割を果たした。令和2年(20年)6月に、同庭園は、アメリカ博物館同盟により博物館として認定された米国初の日本庭園になった。同氏は、同庭園を通じて日本の文化と伝統をさらに広めることに現在も情熱を注いでいる。
 昭和54年(79年)以降、オオツジ氏は、ASLAの会員として積極的に活動し、平成6年(94年)に同協会会長に就任した。平成10年(98年)に、同氏は、造園業への比類のない貢献により、ASLAから会長賞を受賞した。平成4年(92年)、ASLAで政策担当副代表を務めていた同氏は、ASLA委員会の委員長として、マンザナ委員会とマンザナ諮問委員会および国立公園局と協力して、第2次世界大戦中の日系米国人の強制収容の歴史を正確に解釈した、マンザナ史跡のジェネラル・マネジメント・プランの作成の指導および支援を依頼された。
 同氏自身、コロラド州のアマチ収容所に収容された経験を持ち、同じく第2次世界大戦中に10カ所存在した強制収容所の一つに収容された経験を持つ8人のメンバーを率いて、任務を遂行した。マンザナへの関与は平成24年(12年)に終了したが、同氏は、現在も毎年現地を訪れ、進捗状況を確認している。
 全米日系人財団理事を務めていた同氏は、平成10年(98年)から平成12年(00年)まで、財団の理事会、建築家および建設会社と協力し、ワシントンDCにある「全米日系米国人記念碑」の設計および建設を推進した。この碑は、「第2次世界大戦中、不当な扱いを受けたにもかかわらず、この国を愛国心をもって支持した日系米国人とその両親の経験を記念」したものである。

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