先日の東京五輪組織委員会会長である森喜朗氏による発言は、女性蔑視で不適切だと厳しく批判された。あくまでも個人的意見だが、概して昭和の年寄りオヤジたちは(*筆者も昭和生まれだが…)男尊女卑から脱皮し、さらなる男女平等を理解するべき意識改革の教育が必要である。
 自分も30数年前、ミネソタの大学に留学した際の反省すべき教訓を思い出した。初学期にキャンパスの国際留学センターを訪ねた。デスクで書類整理中の女性がいた。全く疑いもせずに、秘書と勝手に思い込んで接したら「私がここの全責任を統括するプログラム・コーディネーターよ」ときつめの口調で返答された。忠告を含め、気付かせてくれた、というのが的確だろう(*言い訳だが)。当時、日本で育った自分の限られた環境下で植え付けられた性別役割の固定観念と先入観が失態の要因の一つと分析する。
 ところで、文化や風習の価値観は言語にも影響すると言われるが、スペイン語を学んだ時、興味深かったのは名詞に性別があることだ。el libro(本)、el telefono(電話)は男性名詞、la casa(家)、la luna(月)は女性名詞だ。ドイツ語は、さらにdas buch(本)などの中性名詞が加わり複雑化する。
 英語での性別は、通常、船や車や国名は「She」で、神(God)は「He」で置き換えられる。第三の性や性別不明のために、SheやHeの他に、近年はTheyを単数形として用いられる傾向もある。議長/会長は、chairmanからchairpersonに、郵便配達人は、mailmanからmail carrierもしくはpostal workerの表現に変移し済みといえよう。
 日本語はというと、文法的性は無いが、「看護婦」が「看護師」に、「保母さん」が「保育士」の表現に改善された。「女傑」「女帝」「未亡人」「愚妻」などの差別的概念を含む言葉も再検討が必要だろう。「やまとなでしこ」も微妙に思えてきた。最も気になるのが「好」というポジティブの漢字もあるが、概して、女へんは、「妖怪」「嫉妬」「嫌悪」「妨害」「媚態(びたい)」などネガティブの言葉がやたら多い。表現による影響を議論し合い、人類皆平等に進化する社会づくりに向け、充分な意識改革の教育が大切である。【長土居政史】

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