大会誘致のプレゼンテーションで登壇し熱弁をふるい、会場の最前列を陣取った前首相をはじめスタッフが固唾を飲んで見守った。「TOKYO 2020」。1964年以来、56年ぶりの東京五輪・パラ開催が決まった歴史的瞬間に感動した。2013年9月のことだった。
 前大会でも名乗りを上げたが、ブラジル・リオに敗れ、やっと悲願を達成した東京。東日本大震災の原発事故で、世界から厳しい目が向けられた逆風をはねのけ、招致を勝ち取った委員たちの陰の努力をたたえたい。しかし、そこからいばらの道を歩むことになる。
 まず、公式エンブレムが外国のものと酷似し、盗作の指摘により江戸時代に流行した市松模様になった。そして、主会場の国立競技場の建て替えでは、当初の斬新なデザインは複雑すぎて総工費が膨らんだことから白紙撤回され、落ち着いたデザインに変更された。さらに、招致を巡る贈賄疑惑でJOCトップが交代。競技面では、暑さ対策として議論が繰り返されたマラソン・競歩の開催地は急きょ、札幌へと移り、インバウンド向けの観光PR効果の東京の名所を回る思惑は、もろくも崩れ残念。
 他の諸問題をなんとかクリアした2020年、ついにオリンピックイヤーが幕開けした。ところが、最大の難所に差し掛かる。新型コロナのパンデミック。聖火ランナーが、全国を回り始める直前の3月に1年の延期が決定。その後、2度目の「開幕まで365日」のカウントダウンを始めた。五輪ムードの高まりは一向に見られず寂しいが、このご時世では仕方ないだろう。
 開催まで半年を切り、国内外から中止がささやかれる不穏な空気が漂う中、組織委員会会長の女性蔑視発言は痛かった。世界から非難を浴び、日本は恥ずかしい思いをした。怒って辞退したボランティアもいたが、残ったスタッフは気を取り直して頑張ってほしい。
 困難が続くが、ここからが正念場。ワクチン接種が世界で始まり、コロナ感染が激減することを祈り、無観客でもいいので選手がひのき舞台に立つ姿が見たい。大会は、大震災からの復興のアピールと同時に、世界がコロナと共闘、あるいは打ち勝った位置付けになるだろう。世界が注目する舞台は東京。待ち遠しい。【永田 潤】

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