仕事のかたわら、鹿児島県人会、北米百働会、西羅府仏教会、大正クラブ、昭和会、南加日本民謡協会、日本民謡・松豊会、ロサンゼルス歌謡クラブなどのさまざまな日系団体で積極的に活動する。その活動の源は戦時中、日本で過ごした際に、米国から届く物資を頼りにした経験から生まれた感謝の気持ちだといい、現在もソーテル日本学院、南加日系商工会議所、日系パイオニアセンターでは理事を務め、また北米百働会の会長も務める。
特筆すべきことは、50年にわたりチャリティーショーなど、さまざまなイベントで司会を務め900回以上のステージをこなしていることだ。「富士アコーディオンバンド」「小東京バンド」「横竹ファミリーバンド」(いずれも解散)などと組み、サンフランシスコ花まつり、米国版紅白歌合戦、民謡ショー、森繁久彌、春日八郎、杉良太郎、天童よしみの各ショーなどの大舞台も務めた。
表彰式では新美潤総領事と、西さんが所属する2団体の各代表が祝辞を述べた。各人が西さんの各分野での功績を誉め、さらなる活躍に期待を寄せた。
総領事は、西さんのステージでの軽妙な司会や詩吟、カラオケなどで披露する美声を紹介し「司会や音楽活動で日系社会を盛り上げ、日本文化の浸透に多大な貢献を果たした功績は顕著である」と評価した。各方面での奉仕活動については「諸団体で会長や理事長などの要職を務め、深く謝意と敬意を表したい」とたたえた。当銘貞夫・南加県人会協議会会長は、協議会主催の演芸会での出場者を紹介する絶妙
西さんが謝辞を述べ、表彰に対し「身に余る思い」と、いつもの謙そんする態度に変わりはない。長年の奉仕について「日本人、日系人という誇りがあり、日本や日本文化が好きなので、日系人と交わってこられてうれしく思う」と喜んだ。20年、30年、40年以上続く5つのチャリティーショーで今も司会を務めており「多くの団体に属し、楽しく活動でき、ラッキーで恵まれている。みんなに支えられてきたので、今日の表彰はみなさんのおかげである」と、謝意を表した。
西さんは、奉仕や司会に情熱を傾けることができるのは、融通が利く自営の造園業だからだとし「自由な時間が持てて、会社員ならできないだろう」と説明。帰米した翌日から庭師の仕事を始め「今日まで1日も休まずにやってこられた」と、健康と家族の支えに感謝する。帰米クラブに属した縁で、富士アコーディオンバンドに出会い、計7バンドで司会をし「新年会やピクニックなどは1日に2、3会を掛け持ちした」と、日系社会の往時の隆盛をしのぶ。現在の高齢化を危惧する一方で「80歳以上の人がまだまだ頑張っていて、日系社会の団体がいつまでも続くように頑張りたい」と話し、恩返しの気持ちを込めた、さらなる社会貢献に意欲を示した。【永田潤、写真も】