今年もあっという間に師走だ。あれよという間にアメリカ滞在36年目にもなる。初めてアメリカにきた留学時代は一年一年が長くて、本当に卒業できるのかと不安と苦悩の連続だった。しかし当時を振り返ると、新鮮で楽しいこともたくさんあった。初心に帰ってアメリカで驚いたシリーズをどうぞ!

▽当時は昭和。天皇陛下をアメリカ人は「ヒロヒト」とファーストネームで呼んだ。最初は「えっ? 誰のこと?」と分からず、分かった後は、「えっ? 呼び捨て?」と、二度驚嘆。
▽便座トイレのドアや仕切りの隙間が広過ぎる。当初は困惑し、集中できず、慣れるまで相当な時間がかかった。
▽いわゆる日本でいう履歴書の雛形がない。卒業後の職探しの際、レジュメ作りにかなりの時間をかけた。自分でデザインするのはいいのだが、フォントの種類、印刷する紙の色や種類選びに苦労した。
▽硬いブロッコリーやカリフラワーを生で食べる。ドレッシングにディップしてポリポリ口につまむ。ニンジン、ホウレンソウ、ピーマン、マッシュルームもだ。
▽警官たちが制服のまま、レストランで普通に食事している。パトロールも兼ねているらしいが…。
▽レストラン、ホテルの部屋、図書館など、室内が概して暗い。白く明るい天井に設置している蛍光灯ではなく、黄色い光の白熱灯のランプスタンドが置いてあるだけ…。
▽日本でいうクリスマスケーキがない! 原稿用紙も、色紙も、耳かきも、現金書留もない!
▽バスの降車ボタンはなく、窓沿いに吊るしてある紐・コードで、引っ張って合図すること。かなりレトロで仰天した。
▽(英語日本語の言語の違いだが)兄、姉、弟、妹などのように一言で表せる言葉がない。「僕のブラザーさ」とか「私のシスターよ」と紹介されても、一瞬どっちが年上、年下がわからないと躊躇(ちゅうちょ)してしまう。

 ハッピーホリデーズ!【長土居政史】

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