故酒井雄哉・天台宗大阿闍梨が話されたことを本にしたタイトルが「一日一生」。今回の日本行で見つけた一冊。
 義兄の一周忌法要を無事に終え、親戚知人を訪ねた。もちろん元気で変わりない、以前より元気の人がいれば、鬱になっていて誰にも会いたくないと断った人もいた。幸い電話では会話ができた。圧迫骨折したとか、昨日退院したばかり、家庭介護が困難になって施設に入所したなど、みんな一年の間に変化があった。一々知らせるのも、と黙っていることが多く、近くにいても知らないでいる。遠くから行った者が、関係親族に知らせる役目を担うということが起こる。もちろん暗い話ばかりではない。帰国子女で苦労した子が東大に入って学生生活を楽しんでいるとか、日本に移住したアメリカ人が相撲や時代劇にはまって田舎生活を楽しんでいた。ボランティアに来ていた学生が就職して、今は後輩を指導する立場になった。働き方や日本の将来についての話から、若者の成長した様子を頼もしく思った。会える時、会いたいときに会っておかないと世は無常だ。
 一日が一生、今日失敗したからって、落ち込むこともない、明日はまた新しい人生が生まれてくる。今が一番大切だよ、と大阿闍梨はおっしゃっている。五木寛之氏も引用している。今日一日を生き延びればいいんだ、明日は明日がどうにかしてくれる。高齢者は長期にわたる将来の展望を気にすることはない。「百歳人生を生きるヒント」で、今日一日を生き抜く力が大事だと。
 ずっと高齢者と関わってきたおかげで、本当に今が大事を実感している。40年以上前、お年寄りから頼まれたことをその日のうちにしてあげられなかった。翌日には死なれてしまって、悔やんだ体験がある。今日のことは今日でおしまい、ひきずらない、と言われるがずっと残っていた。
 今回、何十年も付き合ってきた人から初めて、樺太からの引き上げだったという話を聞いた。これも、今話す時期を迎えたのだと思った。今日一日、今日一日と当時過ごしていたことが伝わった。誰しも同じ、今日を生きるのが精一杯。明日、目を覚ましたら感謝。【大石克子】

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