ロサンゼルスの日系社会が盛り上がっている様子が脳裏に浮かんだ。たくさんのマスコミが駆け付けた会見の場に、羅府新報の記者や社長は来ていないかな…と記者席が映るたびに探してしまった。
 大谷翔平選手のドジャース移籍の話題は希望に満ちあふれ過ぎていて、まぶし過ぎて、いっときは暗いニュースを忘れてもいいのだとお許しを得たような気分になった。大谷ファンだけでなく多くの人が希望を抱いたに違いない。
 大谷選手のようなスターの誕生にワクワクする一方で、程度の差こそあれ、世間でいう「○○ファン」「○○推し」「推し活」というものが、彼らの活躍やプライベートを脅かさないだろうかという不安もある。実際に、大谷選手が日本滞在時にどこに住んでいるかという本当か嘘か分からない情報が出回ることもある。
 好きなアーティストやアスリートなどを全力で応援し、彼らの活躍を人生の糧としている「推し」がいる人たちを見ると、どこか生き生きとしていてうらやましく思うこともある。自分の推しは何だろう…と考えてみても対象が思い浮かばないが、彼らの気持ちを想像してみる。
 ただ、例えば、日比谷の宝塚劇場前で劇団員たちの出待ちをしている熱狂的な女性ファンの群衆や、羽生結弦選手の演技が終わってからリンクに投げ込まれていた大量のクマのプーさんのぬいぐるみを見て、ある種の怖さ、というか狂気的な印象を持つこともあった。言葉で表現すると「ファン」という軽い言葉では言い表せない、むしろ「信者」といったほうが近いかもしれない。
 ふと考えると、ファンになったり、「推し」ができたりするというのは、宗教、カルト、陰謀論を信じる人の感覚に通じる部分もあるかもしれない。「推し」を熱狂的に応援し信じるあまりに、視野が狭まり、別の考えを受け入れられなくなることはないだろうか。前回の米大統領選挙や今のパレスチナの状況を見ても明らかなように、その先には、世間の分断が待っている。
 そして昨日、WBC日本優勝のもう1人の立役者、山本由伸投手もドジャースへの入団が決まった。大谷、山本両選手とも来季の活躍が期待できる。ファンが持つ知識や熱愛の度合いで優劣を付けることなく、ドジャースタジアムでは誰もが楽しく安全に応援できることを願わずにはいられない。(中西奈緒)

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