昨年10月、移籍したばかりの吉田麻也選手を目当てにLAギャラクシーの試合を観戦した。吉田選手はキャプテンの腕章を腕に付け、一際大きく目立っていて、日本人として誇らしく感じた。もしもどちらかを選べと言われたら、私はドジャー球場ではなくディグニティーヘルス・スポーツパークへ車を走らせるだろう。なぜなら吉田選手の契約期間は1年半。今季を応援しなくていつするのか。
 折しも先日、吉田選手の「1日サッカー教室」を取材させていただく機会があった。広々とした緑の芝を見た瞬間私は…興奮した。ボールを追いかける子どもたち、コーチやフィールドの横で家族が上げる声、ホイッスルの音。それらは、かつて自分の息子がクラブチームでサッカーをしていて、家族の生活の全てがサッカーだった頃の記憶を呼び起こした。練習や試合の送迎が必須なのでサッカー漬けだった毎日。そんな私の「サッカーマム=Soccer Mom」の血が再び騒ぎ始めた。
 米国に移住したばかりで最初は英語もろくに話せなかった息子の日々は、サッカーのおかげで輝いた。クラブチームにはあらゆる人種のチームメートがいて、親も含めてみんなが一つにならなければ勝てなかった。チームは5、6回、変わっただろうか。挑戦(トライアウト)の連続。プロにはならなかったが、親も子もサッカーに関わった経験から多くを学び成長したことに心から感謝している。
 2006年刊行の「マグナムサッカー」という写真集がある。私の宝物だ。有名な写真家が世界中で撮影した、サッカーに関する写真を集めている。アフリカの子どももブラジルの修道士もボールを追いかけている。この本を開くと。私は胸が熱くなる。
 スポーツも食もアートも、言葉を介さずに人とつながれる優れた媒体だが、サッカーだけに感じるこの特別な感情は何なのだろうか。サッカー少年にサッカーの血が流れているように、私にはサッカーマムの血が流れているからだと思う。だから無心に上達を願う子どもたちも、ギャラクシーのフィールドに立つ吉田選手も、そして最近ギャラクシーに加入した山根視来(みき)選手も、わが子かのように心配し、応援し、そして誇らしく感じるのが私、「元サッカーマム」なのである。(長井智子)

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