友人が「最近、YouTubeで何時間も韓国の受験生の動画ばかり見ちゃって」と言うので、思わず目を丸くした。彼女によれば韓国の若者の猛勉強は想像を絶し、塾で何時間も勉強、塾が終われば図書館で深夜2時、3時まで自習、その図書館には年間契約で自分用の指定席を購入してあるという。こんな生活が受験日まで何年も続き、もしも受験に失敗したら…、「もしソウル大に入れなかったら、米国のアイビーリーグにでも行く」、と彼らはのたまうそうである。
彼女は韓国語が分かるので、受験生らの生の声、受験地獄からの悲鳴は相当な刺激のようだ。でもなぜそんなコンテンツを見ているのか? 彼女が答える。「アルゴリズムにやられてるのよ」。
なるほど、それは私にも経験がある。ある日1本の冬山事故の動画を見たら、次々と「無謀な登山」や「悲惨な遭難事故」といったコンテンツが現れ出し、気が付いたらYouTubeのホーム画面は、日本の通勤列車に下がる大衆誌の中づり広告みたいになってしまった。つまり、上品とは言えない刺激的な題字が踊っている状況だ。
YouTubeの「おすすめチャンネル機能」は視聴履歴や検索履歴に基づくアルゴリズムを使って、関連性の高い動画やチャンネルを探し、ユーザーの興味に合わせたコンテンツを提供するという。だが私はそれに少々うんざりして、最近はYouTubeから遠ざかっている。なんだか知らないうちに自分が調教されているような気がするのだ。
私にも刺激的な記事を読みたい下衆な好奇心はあるが、それってあくまで少し後ろめたさの伴う「ギルティープレジャー」にとどめておきたいものではないだろうか。だがアルゴリズムはそんな私の気持をおもんばからない。
多分、YouTubeを使いこなすためには、YouTubeにある「イイね!の反対」のマーク(親指が下向きのマークだがなんと呼ぶのか分からない。「ヤダね」とか「ダメね」?)を小まめに押したり、不要な閲覧履歴を消したりして、アルゴリズムと対話する必要があるのだろう。けっこうエネルギーを要すると思うが、それでも果たしてアルゴリズムは調教できるものなのだろうか。「玉石混交」「諸刃の剣」、そんな言葉が頭に浮かんでくる。(長井智子)
