3カ月の日本での介護滞在を終えて昨日、シアトルに帰り着いた。留学中だった夫を訪ねて初めてロサンゼルスへ飛来してから今年で50年、これまで随分と太平洋上を往復したものだと思う。
何度経験しても空港での入国手続きは緊張する。いつも何かが新しくなっている。近頃は、日本に向かうにも米国に戻るにも機中での書類の記入が不要となり、逆に少し戸惑っている。
50年前に初めてロサンゼルスに来た時は、書類の「FOOD」項目の記入で迷った。寮生活の夫に日本食を食べさせたいとコメを持っていたからだ。機内で隣席となった日系の医師に、「コメを持っているのですが、この場合はフードに該当するのでしょうか」と尋ねると、「わざわざ持って来なくても、カリフォルニアではおいしいコメがとれるのですよ」と笑われた。
往復の回数が増えると、「日本にはどれくらい長くいた? 何のため?」と係官に尋ねられるようになった。「親の介護で」と答えると、不思議な顔をされる時もあれば、「そりゃご苦労さん」との返事が返ってくることも。後者は大抵アジア系の係官で、文化の違いを感じたものだ。
これまでで一番困ったのは、なぜか1万ドル以上の現金所持を疑われて荷物の徹底検査を受けた時だ。「本当に所持してないのか。今なら申告すれば問題はないが、うそなら罰則だよ」と何度も念を押されて、財布の中から荷物の隅までの探索。恐怖さえ感じたものだ。その経験があるものだから、今回「アメリカの孫たちに最後のお年玉」として母から現金を預かると、事前にWEBサイトで何度も調べた。そして、米国入国の際に「CBP(FinCEN105)」が要るだけでなく、100万円以上であれば日本を出る時にも「支払い手段等の携帯輸出申告書」が要求されていることを初めて知った。
空港には早めに到着。チェックインを済ませ、出国手続き手前の税関カウンターで「102歳の祖母から孫たちへのお年玉を預かり、運搬役です」と話すと、若い係官は「僕のおばあちゃんも101歳で元気です」「この手続きをするのはラスベガスに行く人が多いです」と笑顔。一挙に緊張が緩んだ。今年も元気に往復したいものだ。(楠瀬明子)
