常石芝青氏の名を冠した「サトル・ツネイシ公園」がモンロビア市に完成した。米国の俳壇に大きく貢献した人であり、いわゆる「アメリカ俳句」の推進に生涯努めた人だった。
 「アメリカ俳句」というのは、在米の日本人が、米国の暮らしやそれに根差した心境を日本語で詠んだ俳句だ。例えばこんな句。
 「早春の旗軒に揚げ国父の日」
 「バトン振る二世少女や独立祭」
 「アメリカ俳句」という言葉が使われ始めたのは1920年代のこと。オレゴン州ポートランドにあった「風土吟社」の三宅太郎氏は、それを「特殊な環境に置かれた『日本人』という民族の魂から迸(ほとばし)り出る十七文字」と言い表した。排日土地法や排日移民法が制定され、多くの日本人が不安な生活を送っていた時期だ。それまでの花鳥風月や望郷の句では心境を詠み切れなくなったのも当然だっただろう。
 常石氏は22年の「橘吟社」創設以来一貫して、暮らしや身の回りを写生して作句するよう唱え続けた。米国特有の素材を詠んだそんな句が、日本の俳壇で受け入れられるようになったことが、「アメリカ俳句」の流れを後押しした。
 しかし、「アメリカ俳句」を求める声は70年代以降徐々に薄れていき、今ではほとんど耳にしなくなった。
 世界は今、大きな音を立てて変わっている。国際秩序は崩されていき、その一方で、日米間の文化的距離は大幅に縮まった。他方、米国内には移民問題はじめ社会的な不安要素が多々ある。このような情勢下にもしも三宅氏や常石氏が生きていたら、どのような「アメリカ俳句」を提唱しただろうか。
 「サトル・ツネイシ公園」にある句碑に刻まれた句は、同氏が47年に詠んだ代表作だ。句碑は同氏の米寿を祝い75年に建立され、一時モントレーパーク市図書館の庭に設置されていたが、このたびの造成で移転された。
 「元日や我に始まる一家系」
 句碑の前にたたずんで「アメリカ俳句」の今後の可能性について考えてみるのも悪くはないかもしれない。(長島幸和)

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