普段は、Eメールぐらいしかパソコンを利用したくない。ビザの申請など旅行社任せで経験がない。それを、初めて自分でしてみた。
申請書類は旅行社からもらい、念のためにインターネットで領事館サイトにアクセスしてみた。サイトから申請に行く日時を予約しなければならないことが分かり、やってみた。
窓口に行って「この申請書は旧式で使えない。予約は取っているのに用紙は取らなかったのか」と言われ頭が真っ白。やり直しを言われて、出発までの日数から無理だと諦めかけたが、あれこれ騒いでいるうちに何とか受け付けてもらえた。
人と人のやりとりは情の入る余地がある。病院とナーシングホームを行ったり来たりの中とはいえ、確認を怠った落ち度を救われてありがたかった。
先日のニュースで、若い人の出産方法が自然分娩ではなく、多くが帝王切開だと聞いた。切迫した事態ならともかく、痛みが伴うのを嫌ってのことだという。医療の発達で痛みは避けるもの、が定着した結果といえるだろう。
「人は泣きながら生まれてくる。自分の意志や努力とは関係なくこの世に押し出されてくる」と、五木寛之氏は著書の中で何度も触れている。
この個所には違和感を抱いていた。というのは、私だけかもしれないが、分娩時に子どもの生まれ出ようとする力を感じた。この子が出て来たいと頑張っているから、それに手を貸したいという気持ちになった。決して押し出されたのではない。とはいえ、仮死状態で生まれた自分はやはり押し出された方だろうか。それでも、人の助けがあってここまで生きてこられたと思っている。
科学や技術の進歩は、それに携わる人の情があって生きてくるのだと思う。大変なことには、何か付随した産物があるように思う。何でも楽な方を選んでいると、「一つ余分」を見つけられないような気がする。
死を前提として誕生したこの世は、苦労の連続と思えばちょっとのことが大きな喜びに感じられる。誰かがかかわって助けてくれることもある。しなくていい苦労はない方がいい。避けられない苦労は向かっていくが善し。【大石克子】
この記事が気に入って何回も読み返し取ってあります。
色々な事が起こりますが向かっていくがよしのこの一行に助けられるというか元気が出てきました。
本当に有難うございます。 今後もお体大事に元気の出る スカッとしたしかも深みのある
記事を楽しみにしております。 靖子