ウエストLAのアイオワ通りに長く住んでいるが、以前から気になることがある。北はアイダホ通り、南はネブラスカ通りと周辺に州の名前がついているのだ。
なぜだろう? どのような由来や歴史があるのか? 中西部の州からの移民がその地域に集まったのか?
でもミネソタやイリノイの通り名はない。北からABCのアルファベット順でもない。ウエストLAの商工会議所の職員に尋ねたがわからずじまい。
さらに不思議なのは、海に向かってロサンゼルス市からサンタモニカ市に入るとアイダホがコロラドに、アイオワがペンシルベニアに変わる。
今度はサンタモニカの歴史博物館を訪ねた。サンタモニカ市は1880年代に、海から内陸に向かって南北に走る通りには数字を、東西は西部の州の名前を使ったとある。
その後「ユタ」は「ブロードウェイ」通りに、「オレゴン」は「サンタモニカ」通りに、そして「ネバダ」は「ウィルシャー」通りに変わった。
市の共同創立者ジョン・パーシバル・ジョーンズ氏が、当時ネバダ州の上院議員だったからだろう。
私の推測はこうだ。まずサンタモニカ市が西部の州名をつけて、その後ロサンゼルス市ができてウエストLAには、使われていない中西部の州名を使ったのだ。
でもひとつ矛盾が出てきた。サンタモニカ市は1886年創立、実はそれ以前の1850年にロサンゼルス市が既に創立されている。この理論は無理かとあきらめようとした矢先、待てよ! いわゆる今のウエストLA地域は、当時ソウテル市として独立しており、ロサンゼルス市に併合されたのは、1922年と判明。
サンタモニカとウエストLAの地図を見直すと、ミシガン通りを除けば、確かに西部と中西部の州の実際の位置とおおまか一致するのを発見! ミネソタとかイリノイが含まれてないのは、単に通りの数が州の数より少なかったためであろう。
当時の移民たちも、それぞれの夢と希望を持ってこの街にやってきたと察する。これを機に自分が住んでいる街をもっと知ろうと思う。一件落着。【長土居政史】