初めての南半球、サンパウロに降り立った。全く予備知識もなく、いきなりの訪問。墓参りと知人の身内を訪ねることが目的といってもよかった。
 知人の身内は、6年前の住所だけが頼りだったが、会えることになった。知人の現在の写真と近況を伝えて、彼らの状況を聞いてLAに持ち帰った。
 双方が知っているのは、数十年前に日本を出たときの顔。現在の顔が全くの別人に見えることに年月の経過を感じたようだった。兄弟といっても国が違えば往来も簡単ではない。電話は時差を考えると容易にかけられない。手紙もしょっちゅう書いていないと字を忘れ、宛名を書くのさえ億劫(おっくう)になる。時々は思い出しても、連絡を取り合うところまではいかない。そして、歳を取っていくと、それがますます難しくなる。
 今年見送った方のところへの墓参りもできた。これまで見たことのない墓の作りで、興味深かった。西本願寺別院にもお参りしたが、寺の作りが周辺の建物にマッチしていて、近づいてもお寺とは認識できない造りだった。
 アルジャの日系婦人会の、日系移民が降り立ったサントスへの日帰り旅行に同行させてもらった。秋だというのにビーチは水着姿のカップル、家族連れで賑わっていた。移民の碑があるから分かるようなもので、労働力としての移民が着いた港という痕跡は微塵(みじん)もない観光地。
 このバス旅行参加者と話をする機会を得られた。日本語を話すので1世かと思って聞くと2世だという。3~4歳で渡伯した1世も日本語を話すが読み書きができない。渡伯後、60年が経過していても、日本に行ってみたい、故郷を見たいという気持ちは強い。帰れなかった状況を思うと胸が痛かった。出稼ぎでも日本の地を踏めた人はいい。
 北半球から南半球でも、日本へ行くより遠かった。それが、地球の裏側の日本へはさらに遠い。日本人、日系人が多く住んでいるのに、マーケットの日本食はLAの比ではなかった。現地で作る日本食品はそれなりに揃っているが、新しい日本食への興味もあり、牛丼のすき家の出店は喜ばれていた。遥かに思う日本への思いは熱いと感じた旅だった。【大石克子】

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