「独活(うど)食べるなら、持って来てあげる」と知人が声を掛けてくれた。「この季節になるとやはり食べたいものね」とも。関東で生まれ育った彼は、うどが懐かしくてシアトルの自宅で栽培していると言う。
 土地が違うと、思い出の中の季節の味覚も違うようだ。九州に育った私は、春になり土筆(つくし)やわらび、ぜんまい、蕗(フキ)を採って帰ると母が料理をしてくれた思い出はあるのだが、うどは縁が無かった。当時は店頭にも見たことが無く、「うどの大木」と言う言葉を知るだけ。体ばかりは大きいが役に立たない人のことだというからには、さぞや大きな木なのだろうと子供心に想像したものだ。
 初めてうどを見たのは、東京の店先で。セロリのようにひょろりとした白っぽい野菜は、想像した大木とはかけ離れていた。茎が柔らかいため、木としての強さはないが食用になり、陽を当てないように地下で栽培しているのだという。東京・立川市はうどの産地らしく、立川で会った女性は「わが家はうど農家です」と自己紹介。立川特産という「うど羊羹」を貰ったこともある。
 知人から届いたシアトル産うどは、地下栽培とはいかず、ドラム缶をかぶせて育てたのだと言う。私は料理の本を頼りに初のうど料理に挑戦し、ちょっと青臭い、蕗に似た香りのするうどのサラダなどを楽しんだ。
 うど栽培ほどではないが、今の季節はわが家の庭にも蓬(よもぎ)、蕗、木の芽といった懐かしい日本の味が姿を見せている。よもぎは前にこの家に住んでいた人が植えたらしく、自分でよもぎ餅を作るだけでなく友人も摘みに来ては毎年おしゃべりに花を咲かせる。蕗は、貰った数本を植えたのが根付いて増え、今年も茎は青煮に、葉は佃煮にした。
 欲しくて探していた山椒の木が手に入ったのは数年前。母の作ってくれていた木の芽あえを食べたくて何度も試し、ようやく母の味に近い青々と美しい酢の物が出来るようになった。
 子供の頃は大して好きではなかったこんな季節の味に、近頃は、懐かしさだけでなく、特別の美味しさをも覚えるのだ。不思議なことながら。【楠瀬明子】

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