朝日新聞は〈二・二六事件と財政—高橋是清に何を学ぶか〉と題する社説を掲載した(2011年2月27日)。帝国陸海軍の専横に抵抗しようと努めた高橋を読者に紹介する社説なのだが、ここで問題にしたいのは、実は…。
 この社説中の次の四文をまず見ていただきたい。〈事件後、軍部にたてついてまで正論を主張しようとする気風が失われた〉〈事件の直前、1936(昭和11)年度の政府予算案が編成された〉〈陸海軍は当初、前年度比14%増に当たる11億7600万円の予算要求を提出していた〉〈この時、立ちはだかったのが高橋蔵相である〉
 「事件後」「事件の直前」「陸軍は当初」「この時」とあって、そのあとに来てもいいはずの助詞がすべて省かれていることにすぐに気づく。「事件後には」でも「事件の直前に」でも「陸海軍は、当初は」でも「この時に」でもないのだ。
 助詞を侮り、これを省き始めると、人の頭脳が劣化するし、論理的な思考もできなくなると「磁針」にも書いてきた。
 同じ社説の次の文はどうだろう。〈だが、規律なき国債増発は金利の上昇や、民間から資金を奪う〉
 「金利の上昇を…奪う」?つながりが悪い、すこぶる醜い文だ。この文は、たとえば「規律なき国債増刷は金利の上昇を招き、やがては民間から資金を奪う」あるいは「規律なき国債増刷は金利を上昇させ、民間から資金を奪うことになる」とでも書き直されるべきだろう。短く「金利の上昇や民間の資金不足を招く」でもかまわない。
 ジョシを虐待していると、いつの間にか、こういう悪文を書いてしまうことになる。この朝日新聞の社説は実にいい見本だ。【江口 敦】

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