思いがけず急に近くの大学病院へ入院することになった。病室は8人の大部屋。患者の症状はそれぞれ違い、あいさつはしても共通の話題はなく会話は続かない。周りが早めに電気を消せば消灯前でも悪いかな、と読書を切り上げる。痰がのどにからむ音、遠慮のないオナラ、夜中にトイレに起きる音。入院生活も1週間になると、カーテン1枚で仕切られたプライバシーのない生活は次第に苦痛に感じられる。そうだ、震災の避難所ではこのような生活がもう1カ月以上も続いているのだな。たった1週間の入院体験で被災者の人たちとは比べようもないのだが、プライバシーのない避難所ではどれだけの苦痛と我慢が強いられているか想像に余る。
 水や食料が届き、ボランティアも増え、避難所にはさまざまな支援物資も届き始めた。しかし、一瞬の差で生と死が分けられた津波の瞬間、私のためにあの人たちが亡くなった。あの時に、こうすればよかった、ああすればよかった、と夜の暗闇で後悔の念にわが身を責める。すべてを失ったこれからの生活不安、いつまで続く避難所暮らし、毎日のように続く余震。「頑張ってください」といわれても、これ以上どう頑張ればよいのだろう。被災者にとって、先の見通しや希望のない生活ほど辛いものはない。
 国の内外から寄せられる支援や義援金、ボランティアの善意、地方自治体同士や企業の支援はありがたい。しかし復興への道筋が示せない政府、足の引っ張り合いが続く与野党、収まらない原発事故…。東電社長や首相の現地訪問にうっ積した感情が爆発する。震災で受けた心の傷や先行き不安、被災者の皆さんには精神的な支えがいま最も必要とされる。
 原発事故の影響は被災地の農・水産品のみならず、広く輸出品全般に風評被害がおよび始めている。時間はかかろうとも、明確な国の支援と復興への道筋が示されれば国の内外に安心感を与えるだろう。人々の精神的な支えのためにも、再び立ち上がる勇気を与える明確な復興への工程表が待望される。【若尾龍彦】

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