「いらっしゃる」という言い方をあまり聞かなくなった。たとえば、以前は「ああ、元気でいらっしゃったのですね」と言っていた場面では、いまはほとんどの日本人が「ああ、元気でおられたのですね」と言う。「いらっしゃった」は死語同然になっているのだ。
 問題は「おる」か「いる」かだ。
 そこで「ああ、君、そこにおったのか」と「ああ、君、そこにいたのか」を比べてみると…。
 「おったのか」の「おる」には「他人の動作を卑しめののしる語」(新潮国語辞典)としての意味合いがどうしても含まれてしまう。だから、「おったのか」と言われれば、自ずと、いくらか蔑まれたような気がしてしまう。
 「はい、ずっとここにおりました」と「はい、ずっとここにいました」では?
 「おりました」は「自分を卑下する語」だ。だから、たとえば、上司などにはこう返事をする。
 だったら「元気でおられたのですね」の「おられた」は?
 これは実に落ち着きが悪い表現だ。本来は純粋に尊敬語(「いられた」「いらっしゃった」)を使うべきところに「他人の動作を卑しめののしる」言葉=「おる」が混在しているからだ。“上下の関係”意識がここでは乱れているからだ。
 日本語から“上下の関係”をなくすのだ、と意気込んでいるわけでもない人たちが「いる」「いられる」「いらっしゃる」を廃して「おる」「おられる」を急に偏重するようになった理由が分からない。
 「いられる」という言葉を「おられる」に置き換えてしまったために、日本人は「いらっしゃった」ともほとんど言わなくなってしまった。「おらっしゃった」という醜い言い方は時代物のドラマの中などでたまに使われるだけだ、というのが、まあ、せめてもの救いだ。【江口 敦】

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