日本人がほとんど使わなくなった言葉の一つに「一所懸命」がある。
 「一所懸命」の「一所」というのは「同じ所」という意味だ(「新潮国語辞典」)。「保元物語」が書かれた時代に使われだした「一所懸命」という言葉は、もともとは「一個所の領地に生命を懸けて生活すること」という意味で使われていたという(同)。その「一所懸命」がやがて「一心に骨折ること」「必死」(同)というような意味で普通に使われるようになった。
 近年になって、この由緒ある「一所懸命」を駆逐したのは「一生懸命」という、なんとも大仰な言葉だ。
 「一生懸命」が大仰だと言うのは、何かを短いあいだに限って「懸命」にやることはできても、その懸命さを「一生」持ち通すことは自分にはとてもできない、という思いがあるからだ。
 「一所」=「同じ所」でなら、つまり、こここそが大事と思われるところで短いあいだならば「懸命」でいられるだろうが、「一生」は無理だ、と感じるからだ。
 そもそも、人というのは「一生」ずっと懸命でいられるように強くつくられているものなのだろうか? ときには気を抜きたくもなるだろうし、しばらくはそのことを忘れたいときもあるのではないか?
 いや、いや、他人がどうであれ、自分はそれほど強くないことが分かっているから、「一生懸命」という重々しい言葉はずいぶん前から使わないことにしている。性に合わないのだ。
 「一所懸命」という言葉を日常会話から抹殺しないでいてほしい。「一生懸命」などと大きく構えなければならない場面が、あそこでもここでも、日常的にくり返されるとはどうしても思えない。【江口 敦】

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