日大三高の猛打がことしの「夏の甲子園」を制した。さて、この大会の決勝戦をNHKの国際放送で見ながら改めて感じたことがある。日本人の物の考え方には理屈に合わないことが、やはり、多すぎる、ということだ。
 打球が外野の奥深くに飛んでいく。アナウンサーが「大きい!ああ、入るか、入るか」などと言う。打球が外野のウォールを越える。アナウンサーが「入った!入った!」と絶叫する。
 そこで、そうだろうか、と考えてしまう。プロ野球の本拠地球場などを除けば、ちゃんとした外野席が備わっている球場は日本にいくつあるのだろうか。アマテュアのチームが週末などにプレイを楽しむ日本中の大多数の野球場には外野席はないだろう。そんな場所で、あるプレイヤーがフェンスまたはウォール越しのホームランを打ったら、その場のプレイヤーたちはそれをどう表現するのだろうか。だって、「外野席に入った」とは言えないのだから。つまり、「入った」には普遍性というものが欠けているのだ。
 これに対して、アメリカでは、アナウンサーは「ゴーイング、ゴーイング…、ゴーン(あるいはグッバイ)などと言うのが普通だ。打球がフィールドを「出て行った」というわけだ。これなら外野席が備わっていない球場ででも使うことができる。合理的な表現だ。「ゴーン=出て行った」は、日本で言うランニングホームランを「インサイド・(ザ・)パーク・ホームラン」と呼ぶこととも整合している。プレイフィールドが「インサイド」なら、そこに外野席があろうとなかろうとウォール(あるいはフェンス)の向こう側は打球が「出て行く」ところ、アウトサイドなのだから。
 日本の政治が乱れきっている。大きな理由の一つは、合理的に物事を考える政治家が極端に少ないということだ。裏づけがない、理屈に合わないことでも大声を出せばそれが通ると信じている政治家が政界の中心部に多すぎるということだ。
 放送で「入った!入った!」を聞くたびに、そんなことを考えた。【江口 敦】

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