思い立って墓参りに帰国した。札幌から東京まで5カ所の墓に参り、その縁の人たちに会った。そのご縁で、また久しぶりに会えた人もいた。まさしく仏縁だと、ありがたかった。
東日本大震災から半年、その影響を感じた。まず、節電。スーパーマーケットやデパート、電車など、明るさや冷房が落ちていた。それでも、それが適度に感じられた。
岩手県の被災地の一部を訪ねたが、北から下りて宮古までしか行けなかった。久慈市にある石油備蓄基地の再構築が着々と進んでいた。被災者や近隣町村の雇用機会拡大にも一役買っていると見えた。公共事業は先に進んでも、個人の事業は難しいように思われた。それでも、露店でお店を始めた人、思い切って仮設住宅の仮設商店街にお店を開いた人など、不安を抱えながら一歩踏み出していた。大きな被害があった所ほど、がれきの撤去や復興が進んでいるように見えた。野田村で見た光景は、壊れた車が整然と列をなし、冷蔵庫などの家電は家電できちんとまとめられ、タイヤはタイヤで積み上げられているというものだった。しかも、鍵がかけられていなかった。このLAなら、当然きれいに持ち去られるだろうと思われた。
無傷の観光地にも客の姿はなかったが、土産物店や食堂は客入りに備えていた。三陸の景勝地の中には、そのままの景観を残しているところもあり、観光客を待っていた。ぜひ、出かけてほしいと思った。
滞在中に読んだ岩手日報に、大震災で被災した宮城県石巻市に河口を持つ北上川を、200キロ遡上したサケの記事と写真があった。盛岡市を流れる中津川にたどり着いて、銀鱗を輝かせて川面をゆったり泳ぐ写真に、被災地を越えて戻る生命を継ぐ力に、励まされる思いがした。海水に漬かった所に、植物はまだだろうと思っていたが、草が一面に生えていた。一部赤くなった杉の木は、断定できないが、植林した杉ではないかと思った。
稲刈りが進んでいて、地元の中学生が修学旅行で、JA(農協)の人と一緒に新米販売を行った話も聞いた。少しずつながらも動いていると感じた。紅葉も始まっていた。【大石克子】