年末の帰国が急きょ、決まった。さまざまな事情で、なかなか思うように里帰りが実現できず、故郷に思いを馳せることも多々あった。長い歳月は、あっという間というが、持病持ちの老いゆく両親を案じながらの9年間は、実際よりも長く、長く感じた。あと10日余りとなった今は、万感胸に迫るものがある。
前回の帰郷は突然、姿を現して家族を驚かせてやろうと企んだ。久しぶりの日本の良さをしみじみと感じながら関西空港に下り立った。出迎えは当然ない、はずだった。だが、税関を出るやいなや二十数人の見知らぬ人からの歓声と拍手の嵐。その真ん中には、涙を流す母がいた。到着が3時間遅れたことを航空会社が勝手に実家に知らせ、母は直ぐさま父を連れ空港に直行したのだ。
到着2時間前から待ち続けた母は、居ても立っても居られず、周りの人に「4年ぶりに息子がアメリカから帰って来る」と言いまくったらしい。思わぬ大歓迎に圧倒された私は、帰還兵を真似て敬礼し「母上、務めを終えてただ今、無事戻りました」「でも、『岸壁の母』のように待たれても…。『関空の母なんか?』」と笑わせ、恥ずかしさを紛らわすしかなかった。
航空会社のこのおせっかいをその時は「余計なことを」と思ったが、今では感謝している。岸壁の母の気持ちを少しかも知れないが、察するようになれたからだ。流行した歌にあるように「もしや、もしや」と復員を祈りながら、抑留された息子が乗った引き揚げ船を待ったという岸壁の母。息子に会えた私の関空の母よりもずっと辛かったことだろう。
今回の帰国は、前回の雪辱を果たそうと再度、サプライズを計画したが、気が変わった。母よりもひと回り年輩で一人息子を持つ女性に当初の企てを話したところ、猛反対されたからだ。「帰るまでの2週間でも、よい知らせを聞くと、お母さんはうれしくなり元気が出るから知らせなさい」。説得され、男はやはり、女性、特に子どもを持つ母親の気持ちを分かっていないことを恥じた。
「親孝行したい時に親はなし」となれば、悔やんでも悔やみ切れない。今回与えられた絶好のチャンスを生かしたい。【永田 潤】