いつでも、どこでも、宿無しになったら、辛いものだろうが、年末は特に辛かろう。米国滞在33年、南加は19年になるが、今年ほど街頭に立って物乞いをする人を多く見かけた年はない。しかもこれまでの人たちとは明らかに違う人たちだ。きちんとした身なりの働き盛りの年齢の男性。ホームレスと書いた紙切れを胸に、疲れた顔で立っている。ネクタイこそしていないが、上着を着ればそのまま会社に行けそうな若い男性が立っている。どういう経緯で街頭に立つまでになったのか。止むに止まれぬ事情があったに違いない。夫婦らしい人も見た。二人の子連れの家族まで見た。数ドルを差し出すと落ち着いた声でサンキューと言われた。どんなに屈辱的だろうか。こちらも複雑な思いが胸に交錯する。
普通の暮らしをしている人でもペイチェックを3回もらえなかったら支払いが滞り、宿無しになる。それがクレジットカードといわれる借金カードの上に成り立っているアメリカ人の生活と言われてきた。収入以上の生活をし、貯蓄を怠ったのだから本人の責任である。しかし、リーマンショック以来の世界不況の犠牲者であることも確かだ。失業して収入が途絶えれば、私も、あなたも、同じ姿になる。誰でも食べてゆかねばならない。今、この国でフードスタンプ受給者は全人口の14・9%。実に6人に1人の割合だ。不況がいかに深刻かのひとつの数値だろう。
12月は街頭募金の季節。毎年、日系スーパーの前で募金活動をする。敬老ホームへの寄付金となる。無関心に前を通られる方もいる中で、やはり1ドルでも募金箱に入れて下さる方があると本当に嬉しい。大変ですね、お互いに頑張りましょうと、励ましを受けている気がする。ありがとうございます、おもいっきりお礼を言う。そこに何かが通う。老いて行く先は敬老ホームになるだろう。最後に誰も宿無しにならないような社会の一員でありたい。街頭に立っていた人たちの姿が脳裏をかすめる。彼らの上に自分が重なる。どこかに帰れる宿があっただろうか。【萩野千鶴子】