『不惑』の年齢をいくばくか過ぎてから、書道を学ぶようになりました。古代インド思想で言えば林住期(りんじゅうき)です。これは社会的な仕事をなす期間である家住期を過ぎて、出家などして精神的な生活に入る期間だそうです。とはいっても頭髪だけは年齢相応であると誰もに認めていただけるようですが、精神的には大人とは言い難いことを十分自覚しており、やがて来る『天命を知る』など想像もつかなくなった期を持って、「書を学べばすこしは迷わない大人になれるのでは」という欲念もあり、これをはじめました。
そして書初めの課題と出されたのが『千里同風』でした。遠く離れた地にでも、同じ風が吹いているという意味ではありますが、転じて天下泰平や天下騒乱という意味でもあるそうです。遠く離れた地であったとしても、新年を祝い、心を洗い、健康や平和を願うことは、生きる上で貴重な営みであると感じています。たとえ目に見える世の中が騒乱であったとしても、気持ちの中ではいつも泰平でありたいと願っています。心の平和をつないでいくことが、生きている証であったり、前を向いて暮らしていく支えになっている場合が多いからです。
私はさらに発展してこのようにも思います。どの場所に住んでいようとも、また話す言葉や育った文化が違ったとしても、髪の色や肌の色が違ったとしても、真理は変わらないということです。正義は、国や人種を超えて正義であるし、絆という観念も同様に外見に惑わされることはありません。
書道をするときには背筋を伸ばし、呼吸を整え、頭のてっぺんから感じる力が必要です。留めも撥(は)ねも文字の位置や全体のバランスも、その筆先に集まった精神に委ねます。この文章も然り、これを読んでいるあなたのすぐ傍にも同じ風が吹き、温かい気持ちや幸せな思いが同封されることを願って書いています。【朝倉巨瑞】