「今度、久しぶりに日本に帰ります」。10年、20年、それより長く帰国してない人は「じゃもう、浦島太郎だね」と、よく時代遅れを揶揄される。ドキッとし、不安になったことのある人も多いことだろう。昨年末の帰国前、私も同様の気分を味わったが、本当にいい日々を過ごし、里帰りしてよかったとつくづく思う。
 社会や町並みなど、急速に変化する日本。インターネットのニュースや電話で、社会情勢を把握しているはずだったが、発展は凄まじかった。百聞は一見にしかず。実家の周りと最寄りの駅前は、すっかり変貌して高層のビルやマンションが建ち、昔の面影はわずかに残るばかり。
 でも、人の心は変わっておらず、安心した。みんな優しい。家族は言うまでもないが、隣人、旧友の歓待は、竜宮城にいるかのような気分にしてくれた。「タイやヒラメ」をご馳走され、内輪で申し訳ないが、3人の姪は、かわいい乙姫さま。まさに浦島太郎のように時の経つのを忘れるほどだった。
 残念だったのは、愛犬、親戚、恩人、掛かり付けのお医者さんが亡くなり、もう会えなかったこと。そして店主の老齢、引退で名物料理店が看板を下ろし、ラーメンやうどん、すし、お好み焼きなど懐かしい味を楽しめなかったのも悲しかった。
 日本は、何と言っても食べ物がおいしい。その中でも格別だったのが、やはり愛情のこもった「おふくろの味」だ。子どもの頃から食べ慣れた味は、いくつになっても忘れはしない。健康的な食事を毎日出され、ジャンクフードを食べ慣れた自分を恥じ、食生活改善と減量する決心ができた。
 アメリカに戻る日の朝には旧友たちが別れの電話をくれ、「アメリカでも日本食が買える」と言っておいたにもかかわらず、近所の人からは缶詰やインスタントラーメン、せんべい、お菓子などとともに餞別をもらった。膨らんだスーツケースは、おみやげと思い出がいっぱいに詰まった「玉手箱」となった。
 両親、兄弟の他界で身寄りがなく「帰ってもしょうがない」と言う人もいるが、生まれた町に戻れば、気持ちは変わるはず。浦島太郎の気分になって、心機一転するのもいいと思う。【永田 潤】

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