暦も如月2月ともなれば、「今年こそは」と誓った新年のレゾリューションもどこへやら。「な〜に、卵と誓いは破れやすしというから、来年また誓えば…」と、元の木阿弥の日々を送っている人が大半なのでは?!
 誓いとは言葉で立て、言葉は風のようなもの。だから、たいがいの誓いとか願いは、凪の時には忘れられる。それだけ平穏に月日が進んでいる証しかもしれない。日系コミュニティーも見渡せばおおむね平穏。新年総会、親睦会の集まりが続いている。
 各県人会、文化芸能グループ、大学同窓会、コミュニティー団体がそれぞれの特長を生かして集い、旧交を温めている光景は日系社会の風物詩。中にはマンネリ化した集まりもあるにはあるが、新鮮なアイディアで楽しいひと時を過ごせるような演出と工夫がみられる会も。
 かつては、総会後の二次式の主役はカラオケと相場は決まっていた。だいたいカラオケは、歌っている本人だけが集中しているだけ。ほとんどの人はまともに聴いてはいない。それでも歌が終わった時に拍手だけは忘れない。同郷、同窓、同士のよしみとしての礼儀はちゃんと心得ている。
 また、集まりによっては、事前に新聞広告などで案内し、新たな会員を募ったり、会の社会性をアピールしたり、広報用に当日のプログラムや会長のあいさつ要旨、新役員名簿などを新聞社に知らせてくれる。一方で、お金を使いたくないから広告は出さず、集まりの内容を記事にしてくれ、写真も載せてくれ、記事が出たら日本の関係者に見せるので掲載紙を送ってくれなどという、あつかましいところも。
 ご本人は、幹事としての役目を全うしようとして悪気はないのだろうけれども、持ちつ持たれつのコミュニティーの社会通念としては独断的、小賢しいとのそしりは免れないのではないか。
 このほか、分刻みで議事進行を図る集まりもあれば、定刻に始めないのを「信条」としているのではないかという集まりもある。それぞれの会の気質が伝わり、比較文化的な興味をそそる。
 ともあれ、各会が誓ったであろう新年のレゾリューションが成就されれば、ご同慶の至り。【石原 嵩】

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