5Kに参加した佐藤さんは小雨が降る中、同じ被災者の高校生7人とともに「希」や「HELP」「遺児」などとプリントした揃いのTシャツを着用して力走し、震災遺児の窮状を知らせた。起伏に富んだ難コースを20分ほどで完走し「僕の仕事は、このTシャツを着て精一杯走ること。アメリカの人が、どのように感じたのかは分からないけど、僕たちのような遺児がいることを分かってもらえたと思う」と述べた。
2人は今回の訪米で、地元テレビ局KTLAの生放送に出演したり、地元の高校や敬老引退者ホーム、LA市警を訪問、討論会では英語でスピーチするなどし貴重な経験を積んだ。「学んだことを今後の人生に役立てたい」と口を揃え、遺児の支援活動を行う意向を示した。佐藤さんは「みんなの温かさを感じた10日間だった。思い出の1ページになった。実務に就くと外国人との交渉があるので、今回はいい経験をさせてもらった」と話した。内村さんは「(アメリカ人と)言葉は通じないけど気持ちを伝えることができ、心が通じ分かってもらえたと思う」と語り、遺児支援については「悲しく、辛い思いをした経験を生かして、子どもの夢を叶える活動に参加したい」と希望した。
あしなが育英会は、2014年に岩手、宮城、福島に完成を目指す震災遺児の心のケア施設「東北レインボーハウス」とそのサテライト(沿岸部4カ所)の建設資金を募るキャンペーンを国内のほか世界で展開。ニューヨーク、中国・大連、パリ、ロサンゼルス、ブラジル・サンパウロの世界5都市を回った。同施設の建設・運営費は約35億円が必要だが、約18億円が不足しており活動を継続する。
LAマラソンでの募金運動では、携帯用のティッシュペーパーとリストバンドを配布し活動内容を知らせ、約3200ドルを集めた。その他、地元日本語雑誌「ららら」が催したマジックショーの収益約1万4000ドル、日系記者クラブから約5000ドル、オレンジ郡の女性有志7人が主催したバザーの収益約2万ドル、南加宮城県人会から500ドルが寄せられ、遺児の激励・送別会で贈呈式が行われた。
訪米団の鷲田等団長は、今回のキャンペーンは募金の額が目標ではないことを強調し「われわれの国際的な活動を分かってもらい、助けてもらうために来た。みなさんにお世話になって、そのことを伝えることができたと思う。外国でのキャンペーンは今回が初めてだったけど、上手くできたと思う」と述べた。【永田潤、写真も】