アメリカ近鉄興業は、同社に100%出資し、鉄道事業を柱にバス、ホテル、航空貨物、旅行、百貨店、不動産など130社を幅広く経営する近畿日本鉄道を親会社とする。
式典には本社から前会長で相談役の辻井昭雄氏が参列し、あいさつに立った。辻井氏は、米国進出の経緯を説明。同社は大阪―サンフランシスコの姉妹都市提携に基づき、日本町の再開発計画への参画に端を発し、1961年から営業を始めた。
辻井氏の来米は、07年の同ホテル起工式以来で、順調な業績を喜んだ。ハイブリッドというホテルの命名について「東西文化の交流とハイテク、自然の両立、環境に優しいという意味を持つ」と説いた。「これらのコンセプトを経営に生かし、地元コミュニティーの発展に貢献するよう努めたい」と抱負を述べた。
辻井氏の言葉通り、「CSR」(企業の社会貢献活動)に力を注ぎ地域に根ざす同社。その活動は、寄付のみならず、社員が奉仕に努めて共存共栄を図る。日系社会では他の日系企業と力を合わせ、低迷期だった二世週祭に、ねぶたを青森から招き、活気づけた。また、小東京の再開発事業においてもリトル東京協議会などの地元の会合に参加し、町の活性化に寄与している。
式典の席上、ねぶた実行委員会の事務局長を務めた同社前社長の米田昭正氏が、トーレンス市と二世週ファンデーションから特別表彰を受けた。米田氏は今月末、大阪本社へ帰任を予定しており、同士など社会から別れを惜しむ声が多く聞かれ、同社の地域密着ぶりがうかがえる。
サンフランシスコ駐在時代を含め、30年以上にわたりホテル業に従事する山川社長。「ホテルビジネスは地場産業」という信念を持ち「ハイブリッドホテルのコンセプトを基に、日米の懸け橋となってコミュニティー優先のホテルとして頑張りたい」と抱負を述べた。
サンフランシスコからLAに基盤を移すなどし、必ずしも描いた軌道通りに進まないこともあった。辻井氏は「浮き沈みがあったが、今は『ワンダフル』」と堅調な業績を維持する経営に胸を張った。「これからも時代の流れに沿って地域社会とともに営業していきたい」と話した。米田氏の本業と社会奉仕の公私にわたる活躍を「エクセレント」と称えた。【永田潤、写真も】