ワシントンの超高級ホテル、メイフラワー・ルネッサンス(旧メイフラワー・ホテル)のレストランの一隅に「Off Limit」のテーブルがある。
かつて常連客の米連邦捜査局(FBI)のJ・エドガー・フーバー長官が座っていたテーブルだ。死後40年たった今もそのままになっている。
フーバー氏は、FBI創成期から死去するまで48年間にわたり、泣く子も黙る捜査機関のトップとして君臨した。
昨年暮れ、クリント・イーストウッド監督、レオナルド・デカプリオ主演の映画「J. Edgar」が公開された。公開初日、くだんのホテルでは、フーバー長官が毎日、食べていたランチ・メニューを用意、「映画はランチのあとで」とやって大うけだった、とか。
共産主義者が本当にアメリカを破壊すると考えていた50年代から60年代。「冷戦」がアメリカ全土をすっぽり包んでいた。
〈国家の利益を守るためにはアカをとっ捕まえろ〉
そのフーバー長官が生前、秘かに保管していた「極秘ファイル」がある。そのファイルが解禁された。ジャーナリストのT・ワイナーがそれを読み解き、本を著した。
なぜ、フーバー長官が絶対的な権限を握れたのか。そのキーワードは「冷戦」。どんな非合法な手段でもいい。国家を脅かす人物は徹底的にマークせよ――「アメリカ」がフーバー長官に暗黙の了解を与えたのだ。
「疑わしき人物」に例外はなかった。側近が米共産党員だった公民権運動指導者のマーチン・ルーサー・キング師のアパートにも盗聴器が仕掛けられた。聞こえてきたのは秘め事の一部始終だった。
女性スキャンダルではジョン・F・ケネディ大統領も負けてはいない。60年の民主党大統領候補を選ぶ予備選の最中、「マフィアの愛人」と不倫関係を続けるケネディ氏にさすがのフーバー長官も言葉を失った。
こういう話を知るにつけ、キング師の「I have a Dream」演説も、華麗なケネディ就任演説もどこか空々しく聞こえてくる。
いずれにしても、フーバーという御仁、余計なファイルを残してくれたものだ。【高濱 賛】