郷里・松山の旧友と横須賀の戦艦三笠を訪ねた。
 昨年12月に3年かけて放映された年末ドラマ「坂の上の雲」が終了。主人公の秋山好古・真之兄弟は松山人の誇りである。
 記念館三笠は、京浜急行横須賀中央駅から徒歩15分、初めての横須賀訪問だが、基地の街は予想以上に小奇麗で落ち着いている。途中の桜が満開でわれわれを迎えてくれた。
 戦艦三笠は噴水広場の先に係留されていた。折しも館内は特別展でさまざまな展示品が見られたのは幸運。中でも心惹かれたのは次の挿話である。
 米海軍ミニッツ元帥は、日露戦争直後(1905)横浜を訪れた際に招かれた浜離宮での凱旋園遊会で、東郷大将と歓談する機会を得た。深く感ずるところがあった彼は、以来東郷大将を心の師と仰ぎ、東郷元帥の国葬の際も米海軍代表として参列した。
 戦後「ミズーリ」艦上の降伏調印式にも臨んだ彼は、戦艦三笠の保護にも手を貸したが、やがて占領軍により大砲マスト艦橋などが撤去され荒廃した。
 東郷元帥に因縁浅からぬ彼は、昭和36年の三笠艦復元運動に賛同し、自ら募金に応ずると共に海軍仲間にも呼びかけて協力。その後の東郷神社復元運動にも自著「ミニッツの海戦史」日本語版の印税をそっくり寄付するなど、協力を惜しまなかったそうだ。
 日本には呉の戦艦大和記念館など海軍の記念施設があるが、外国からの訪問は三笠記念館が一番人気だそうだ。東京に近いという地の利もあろうが、植民地主義が当たり前だった当時、開国間もない東洋の島国・日本が、けなげにも大国ロシアに敢然と挑み完勝を遂げて、アジアをはじめ各地の圧政に喘ぐ国々に独立の機運を与えるきっかけとなった日本海海戦は、その奇抜な敵前大回頭・T字戦法と共に世界の海戦史に残る記念碑だからである。
 三笠を降り、友の希望である「海軍カレー」を食べて軍港巡りをした。
 4月8日のこの日は、北朝鮮の衛星打ち上げに備えて多くのイージス艦が出動していたが、それでも日米併せて5〜6艦のイージス艦や米原子力空母が停泊する横須賀軍港は壮観である。【若尾龍彦】

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