久しぶりに目をとおした新聞で、昨年3月の東日本大震災の津波にさらわれた漂流物が、続々アラスカ湾に押し寄せているという記事(5月30日付朝日新聞国際版)を読んだ。漂着物でも、持ち主の名前や学校名が入ったボールが日本の持ち主に返されたというニュースには喜ばしい思いがしたが、150万トンとも予想される漂流物が今後何年にわたって米西海岸に漂着するのか、被災地の被災直後の状況がこの地に再現するのかと思うと由々しき事態である。
 発泡スチロールやウレタンのような軽いものだけでなく、冷蔵庫やオートバイのような金属製品まで流れ着く。水の力はとてつもないと思った。撤去費用も問題だ。日本国内でのがれき処理も難しい中、漂流物の撤去費用の負担は到底無理だろう。発泡スチロールなどの石油製品は自然に返らない。焼却すれば有害物質が出るかもしれない。自然界の動植物への影響を考えると、放って置くことができない厄介な問題だ。
 宇宙でも、人工衛星打ち上げ成功から55年間のごみが地球周回軌道に浮いていて、それが増え続けると衛星の居場所がなくなる恐れがあるという。宇宙開発は進められても、ごみ掃除の取り決めができていないらしい。遠くから見ているだけでは飽き足らず、宇宙への夢を現実にし、高い山にこぞって登り、便利な生活を追い求めた結果、どこもかしこもごみの山。人に優しい、環境に配慮、といわれて久しいが、何がどういいのか分からない。エコカーと電気自動車が増えているが、排気ガスを出さないのはいいが、その電気は何から作られるのだろうか。自転車を漕いで起こす人力発電や風力発電ならエコといってもいいかもしれないが、電気を起こす基が環境破壊につながるようなら、動力だけを問題するのはちょっと変? などと考えてしまう。
 大海原を5000キロ以上も旅してきた漂流物、それはある種のロマンを感じるが、現実にはごみ。自然災害の派生物だからと割り切れることではないように思う。天の川がごみの川にならないように。織姫・彦星の年に一度の逢瀬がごみに邪魔されないように! は飛躍し過ぎかな。【大石克子】

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