約800人が参列したハシモトさんの葬儀。祭壇には、にっこり笑う遺影が飾られ、贈られた数多くの花輪が故人の人徳を物語っていた(写真は代表撮影)
 肺がんのため4日に死去した老舗和菓子店「三河屋」社長で、日系社会の活動家のフランシス・ハシモトさん(享年69)の葬儀が10日、日米劇場でしめやかに営まれた。親友のジャン・ペリー市議をはじめ地元政財界など多方面から約800人が参列し、日系社会のために献身した偉大なリーダーの冥福を祈った。【永田 潤】
 喪主を夫のジョー・フリードマンさんが務め、息子のライアン・フリードマンさんが謝辞を述べた。友人代表のペリー市議とファッションデザイナーの庄司正さんが弔辞を読み上げ故人を偲んだ。市議は、小東京の数々の再開発プロジェクトをハシモトさんとともに手掛けた。盆踊りなど日本文化を教えられ、日本旅行に案内され、露天風呂にも一緒に漬かった。
弔辞を述べるジャン・ペリー市議
 家族ぐるみで付き合いがあった市議は、棺の中で眠る親友であり恩人に向け語りかけた。「とてもダイナミックな女性で、私のビッグシスターだった。あなたの功績、笑顔、優しい心を忘れはしない。私の心の中であなたは生きている」
 小東京の発展と保存、そして日本文化の継承に情熱を傾け、属した各団体で要職を歴任した。二世ウィークファンデーション、日米文化会館、南加日系商工会議所、小東京実業者組合、南加日系婦人会、小東京協議会、ねぶた実行委員会、ロサンゼルス名古屋姉妹都市委員会などの会長が代表焼香を行った。
 ボイルハイツで育った橋本さんはUSCを卒業後、小学校の教師を4年間務めたが、店を継いでほしいという母親の熱望に応えた。早朝から深夜まで身を粉にして働く両親を見て育っただけに、家業を守る思いは強かった。27歳の若さで社長に就任し、類いまれな商才を発揮。小東京の小さな店から5店舗に広げ、製造工場を持つ一企業に押し上げた。自社で独自に開発・商品化したモチ・アイスクリームは、アイスを包む皮のもちもちとした食感が受けヒット。日系スーパーや和食店のみならず、トレーダー・ジョーズ、ラルフス、アルバートソン、コスコなど米大手スーパーにも卸している。また、抹茶、梅酒、あずきなどの和風ジェラートも販売し、西洋のデザートと融合させた和菓子文化を浸透させつつある。
 ビジネスだけではない。小東京と日系社会をこよなく愛し、奉仕に明け暮れた。気前がよく、非営利団体へ活動資金の献金や各種イベントでの紅白餅や赤飯など商品の寄付を惜しみなく行った。日本語をうまく話し、集会などで日本人参加者が内容を理解していないと判断すると、直ぐさまスピーチを中断させて通訳を買って出たり、他のイベントでも日系人と日本人社会のパイプ役を務めた。
 負けん気が強く、男勝りの気性で、人徳を慕って親交した人は多い。日本人の両親から厳しいしつけで育てられ、礼節を重んじ、義理堅い昔気質の持ち主である。無礼な態度をとった日本人を叱りつけることもあり「私は明治生まれの親に育てられた『昭和の女だ』」と自負していた。怒り過ぎを反省し「ごめんね。今度、お饅頭あげるから、気を取り直してね」と、なだめる気配りも忘れなかった。
 日系人社会の発展と日米の友好親善の増進に寄与した功績が日本政府から認められ、今年の春に旭日双光章を授与された。また、ロサンゼルス市議会はハシモトさんを顕彰し、小東京のノグチプラザ横のレンガ畳の一角(アズザ通りと2街間)を「フランシス・ハシモト・プラザ」と命名することを9月に承認した。命名記念式典は、15日午前10時から開かれる。
 
永遠の別れを惜しむ
日系諸団体の代表の声

 ハシモトさんが所属した諸団体の代表が、永遠の別れを惜しみ思い出を語った。
 スティーブ・イノウエ二世週祭実行委員長 日系社会のために大きな役割を果たしてくれた。フランシスを亡くしたことは、社会の大きな損失。今日の小東京と二世ウィークの発展は、彼女の貢献が大きい。
 サンディ・サカモト日米文化会館理事長 リトルトーキョーと日系社会をこよなく愛し、われわれの理事として長い間、尽くしてくれた。彼女に取って代わる人を探すのは無理だろう。三河屋のスイーツを配って回った、あの美しい笑顔が忘れられない。
 エリカ・オルセン前二世週祭女王 姉妹都市の名古屋に女王とコートで行った際に案内してもらい貴重な経験ができた。姉妹都市の関係を築いてくれた。長年、小東京と日系社会に尽くしてくれた。日系女性リーダーの鑑(かがみ)である。われわれが彼女の後に続かなければならない。
 ビル・ワタナベ前リトルトウキョウサービスセンター所長 忙しい会社経営のかたわらで、日系社会のために献身し、いつも感心していた。リトルトーキョーを本当に愛していたから、あれだけ頑張ることができたのだろう。私は退職したが今日、フランシスのインスピレーションを感じた。彼女のように奉仕に頑張る気持ちが沸いてきた。
 竹花晴夫・南加日系商工会議所会頭 理事として市との交渉にあたってくれた。お正月の行事では、お餅を提供してくれ献金も受けた。あの行動力は、誰もが称賛している。
 岡本雅夫・小東京協議会議長 副議長として、地下鉄のリージョナル・コネクターなど、他との交渉をすべてやってもらった。日系人と日本人との間に立ち、リーダーシップを発揮して2つをまとめた功績は大きい。私が二世ウィークの理事になったり、LTCCに入ったのは、フランシスに引っ張られたから。感謝している。
 奈良佳緒里・青森県人会会長 リトル東京と日系社会、二世ウィークのためによく頑張ってくれた。あんなすごい人は見たことない。惜しい人を亡くした。ねぶた祭では、本当に世話になった。パレードでハネトとして、一緒に跳ねたのが思い出。お疲れさまでした。天国でゆっくりと休んで下さい。
 アーネスト・ヒダLA名古屋姉妹都市委員会委員長 理事として活躍してくれた。姉妹都市委員会以外の活動でも、2都市間の草の根運動の先頭に立って毎年名古屋に行って、いい関係を作ってくれた。

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