2011年3月、東北地方を襲った東日本大震災から早くも2年になる。
日本政府は世界の青少年を被災地に招き、あるいは日本の青少年を海外に派遣して日本の復興状況を理解してもらうことを目的とした「キズナ・プロジェクト」を実施している。このプログラムに参加した福島市の青年がシカゴ市内にホームステイし、いろいろな組織の会合などで日本の復興状況を話している。
この青年は仙台の東北大学経済学部に在籍中の秋山俊樹君で、震災当時は崩壊した原子力発電所から40キロ離れた福島市内に住んでおり、避難の必要はなかったそうだが「直接津波などの災害は受けていませんが、人々は放射能汚染という目に見えない恐怖に曝されました。今も除染は続けられていますが、作業などがだんだんずさんになっているような気がします。たとえば放射能で汚染された木を伐採はしても、それを河に捨てているんです」と語る。
秋山君の話で実際の震災の被害、復興からは枝葉のことかもしれないが、私には気になることがあった。
住み慣れた家を離れて避難しなければならなかった被災者が、避難した他県の人々から必ずしも温かく迎えられなかったということである。馴染みのない学校に転校した子供たちは「福島から来た」というだけでいじめられ、福島ナンバーの車を駐車しておくと落書きをされたという。
ペリー提督が日本に開国を迫って以来160年近くなるというのに、他者を受け入れない「島国根性」未だに健在である。海外に復興状況を理解してもらうことも大切だが、日本人自身が被災者を差別せず、理解し、受け入れることのほうが大切なのではないだろうか。新しい土地に住み着くことができなかった人々は、未だに放射能が漏れ続けている福島に戻って生活しているという。
秋山君は、いつかアメリカの大学で勉強してみたいとも言う。私もそれには大賛成である。彼にはアメリカで広く他者を受け入れる心を培ってもらいたいと思う。これからの日本のために…。【川口加代子】