「終わらない戦後」―戦友を失った元兵士、元捕虜、遺族など心に傷を負った多くの人が、こう思っていることだろう。さらに最近、近隣諸国から責められる母国に胸を痛める戦争を知らないわれわれの世代でさえも、いつまで続くのかと憂う。
 大戦では多くの民間人が犠牲になり、町は一面焼け野原となり終戦を迎えた。占領軍に統治され、国民は屈辱に耐えた。サンフランシスコ平和条約では、固有の領土を手放してまでも、国際社会の一員に復帰した。国民は過去を清算したと思ったのだが依然、周辺諸国は納得していない。一体、いつになったら許してもらえるのかと思う。
 一般に親や先祖の犯した過ちを、子どもや孫が償う必要はない。しかし、戦争は異なる。領土、慰安婦などの問題で、首相をはじめ、政治家のほとんどが戦争体験がない世代であるにもかかわらず、解決に苦心している。どうやら国家間の問題は、時が解決してくれることはないようだ。
 戦後生まれは、小学校から質の高い平和教育を受けてきた。人を殺し合う戦争は悲惨で、起こしてはならないなどと、叩き込まれた。だが、戦後の処理問題がこれほどまで尾を引くとは、習わなかった。
 天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、日本では紛れもなく英雄だが、隣国ではまったくの逆で悪名が高い。出兵で苦しめられた人民は当時のことを400年以上経った今日まで、未だに語り継いでいるという。「400年以上」、「未だに」と言ったがこれらは、日本人的な考えかもしれない。閣僚の神社への公式参拝もそうだろう。戦犯が祭られていようと、国のトップの参拝は一般の遺族にとっては心が癒される。日本人はそう思うが、周辺諸国は猛反対。こうした国民感情の違いを理解しないと、戦後は終わりを知らず延々と続くだろう。
 米議会調査局はこのたび、安倍首相の歴史認識が、東アジアの国際関係を混乱させ、日米関係に影響を及ぼす可能性があり、それに関する首相の発言は米国も常に監視していると発表した。調査は公式見解ではないが、このような考えを持った者がいることを注意すべきである。これまでのやり方を変えるのも手だろう。【永田 潤】

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