日本語には男言葉と女言葉があり面白い。日本語の情感やひだを豊かにしている。これは大昔から時代の変遷に形を変えながらもやまと言葉、漢語ではなく、脈々と生きる日本語文化の個性だ。
日本語には基本的に男女共用の中性語たる標準語があり、公用語として公的な場や文書で主に使われる。外人が習う日本語もまずこの中性語。
しかし日本人の実際の私的な話し言葉は、男言葉と女言葉が自然だ。小説の中でも書かれたせりふだけで話し手が男か女か分る。きれいだな、きれいね、という具合にちょっとした語尾変化が、男女のらしさを明確に生む。欧米語や漢語では「きれいです」式の男女共通語しかない。
また、旨いな、美味しいわね、いい奴だな、いい人ね、という具合に日本語では用語も男女別が普通の文化だ。日本ではくそっ、と男は言っても女性は普通言わない文化。英語では男も女もシットと言っている。両性共用語だけで男女性差がないのだ。
「エイズって恐いのよ、と兄は言った」というキャッチコピーがあった。これは言葉に性別がある日本語ならではのひねりの面白さだ。エイズって恐いのよ、と女言葉で女性が言ったと思わせておいて最後に兄は、と出て来る。これで兄がどんな種類の人かも浮び上る。この異性の言葉を逆使いする面白さも日本独特で、男女語のない英中語などは文字化では表せない。
男が女にお前頑張れよ、と言う。それに応えて女性が「お前も頑張れよ」と返せば意外性の面白さが生まれる。男らしい言葉、女言葉、さらに中性語が多重に織り込まれ使い分けされる日本語文化の味わいは悪くないなと思う。
中、英語などでも女性が好む感嘆詞などあるし、男女が各々に好む傾向の表現もあるにはあるが言語は性差語でなく性別なしの男女共通語だ。
性格が違うが西欧語にも文法の性別変化はある。英語では名詞の性はほぼ消滅したが仏、西などラテン系言語では名詞の男女により冠詞、形容詞、副詞、動詞とみな性変化する。独語はさらに中性語の変化も加わる。名詞の性に基づく多彩な活用だが、文法に則って男女共用する訳で、日本語のような男言葉、女言葉とは違うのである。【半田俊夫】