アルゼンチンで記者、俳優、アナウンサーをする高木一臣さんが渡亜したきっかけが、とても素敵な話でしたので紹介します。
 戦後アメリカの占領下であった日本で、ある日、高木さんは横浜で外国船を見ていました。通常外国船が港に入ってくる時には敬意を表するために、自国の国旗とともに、入国する国の国旗を掲げるということが礼儀とされていました。しかしながら敗戦国である日本に入国する船のほとんどは、日本の国旗を掲げることをしませんでした。その中でアルゼンチン籍の船が日本の国旗を掲げて入港したのを目にしたのです。
 占領軍は、日の丸を降ろしてアメリカ国旗を掲げるようにと通告をしました。しかしながらアルゼンチン船は「アルゼンチン籍の船はアルゼンチンの領土である。アルゼンチンの領土に日本の国旗を掲げる」として通告を拒否したそうです。
 アルゼンチンは、たとえ日本が敗戦をしても日本に礼儀をつくすことを忘れない国でした。そんな国に惚れ込んだのです。
 そして高木さんがアルゼンチンの夜間中学で学んでいたとき、先生は高木さんを「日出づる国の生徒よ」と呼びました。高木さんは「先生、日本は戦争に負けたんです。そのような呼び方はやめてください」と言ったのです。すると先生は、「日本が、日出づる国であるのは、戦争に強かったからではない。日本がアジアの小国から、西洋文明を取り入れて一躍五大強国になった。そして東洋文明と西洋文明を統一して、世界文明を造り上げることができるのは、中国でも米国でもヨーロッパでもない、日本しかない。日本がその使命をもつかぎり、『日出づる国』である。敗戦国だからといって卑屈になる必要はない。『日出づる国』の人間として胸を張って歩きたまえ」と教えたそうです。
 アルゼンチンの人々が長い間心の中に持ち続けてくれている日本への信頼と尊敬の念を、日出づる国にルーツをもつ私たち自身が忘れていることに気づかされ、その使命を考えさせられます。【朝倉巨瑞】

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