西川国順会長は折に触れて宗家のことを思い出すと語り、「宗家との別れを回顧するのではなく、いつも見守って頂いているということを忘れず、吟道を精進してださい」と吟士たちに呼び掛けた。
今大会では師範を中心に総勢20人が参加した追悼吟詠が披露された。宗家が好んで吟じた特に思い入れのある吟題が選ばれ、それぞれが思いを込めて吟じていった。
追悼吟詠に参加した西国照さんは病気療養の後、腹式呼吸が求められる詩吟は健康に良いからと友人にすすめられ習い始めて13年半になるという。追悼吟詠に参加するとあって、花梨の蜂蜜漬けを持参し喉の調子を万全に整えて大会にのぞんでいた。
宗家が1942年にマンザナーの日系人戦地転住所に入所していた時に吟を始め、直接指導を受けたという大東国岬師範が解説を担当。宗家の吟に懸ける思いなどを説明しながら進行していった。
81年9月の最後の舞台で吟じた頼春水作「松島」や、佐原盛純作「白虎隊」などが次々に吟じられると、会場にいた吟士たちは静かに耳を傾け、吟友たちの吟に聞き入っていた。
最後は宗家が託した吟への思いを確認しつつ、参加者全員で大合吟「富士山」を吟じ、再会を約束し合った。【吉田純子、写真も】