日本の歌百選に選ばれている童謡「里の秋」、歌詞も曲も美しく好きな歌だ。
1、静かな静かな里の秋/お背戸に木の実の落ちる夜は/ああ母さんとただ二人/栗の実煮てますいろり端
2、明るい明るい星の空/鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は/ああ父さんのあの笑顔/栗の実食べては思い出す
1番の「ああ母さんとただ二人」というのはお父さんがいないから。お父さんは戦争で兵隊に召集されて行き、そこにいないのである。
近年この歌は2番までしか歌われなくなった。それでこの歌は2番までしかない歌だと思っている人も多い。
しかし終戦の昭和20年に発表されたこの歌には3番がある。この歌の元歌は斎藤信夫が太平洋戦争勃発の1941年に「星月夜」の名で作った童謡で4番まであった。2番迄は今の「里の秋」と同じ。しかし3、4番はああ父さんのご武運を今夜も一人で祈りますとか、必ずお国を護ります、など軍国主義的な内容があった。このため戦後3、4番を無くし「里の秋」として作者が新たな3番を付けて終戦わずか4カ月の昭和20年12月24日NHKラジオ特別番組「外地引揚同胞激励の午后」と題して放送された。
3番の歌詞はこう続く。
「さよならさよなら椰子の島/お船に揺られて帰られる/ああ父さんよご無事でと/今夜も母さんと祈ります」
童謡歌手の川田正子が歌い終えるとスタジオは涙で静まり返ったと言われる。3番は遠く外地から帰ってくるであろう父親の無事を願う母子の切なる思いを歌っている。しかしその後、大戦時の日本の南方への派兵を歌に入れてはまずいという外国への遠慮と自己規制だろうか、3番は歌われなくなった。平和の歌であるし、父の無事を祈る内容だし歌って良いと思うが。
僕は車の運転中に時々一人歌を歌うが、この歌は2番までは歌えるが3番をきちんと歌えたことが一度もない。3番に入るとすぐ胸が詰まり声が出なくなる。平穏だった地方の普通の家から赤紙一枚で徴兵され南方の戦地に送られまだ生死の分らぬ夫や父の無事の帰国をひたすら祈る、当時たくさんいたであろうそんな母子の思いが胸に押し寄せる。南方戦線は玉砕が多かったので実際は生存率が極度に低かったのだ。【半田俊夫】