「もう1月も終わるね」私の周りの人たちとのあいさつになっている。「時間の経つのが速いね」と続く。時間の進みが速いと思うのは、老いた証拠。物事の処理が遅くなってきて、費やす時間が長くなるので、時の経過が速く感じられる。しかも、若いうちは交流範囲が限られているが、年々広がっていく。最低限の付き合いだけでも結構大変になる。
 その上、さらに何か新しいことを、身の程をわきまえず、引き受けてしまうと、身動きが取れなくなる。どうしようもないときは、やらなければならないことに優先順位をつける必要がでてくる。家の事やコミュニティーのこと、人付き合いの中の何が今一番大事かを考えて行動する。義理やしがらみを考えていられない、自分のペースを自覚することが老いに備えることだと思う。
 本当に失礼ばかりしている。カードの返信もままならない。礼状も然り。人にどう思われようと、できないことは致し方ない。機会があったら、失礼をわびる。できていたことができなくなった時、できないと嘆くより、先輩に近づいたと喜べばいい。できないことのなかの豊かさ、遠回りをした時間から得られる楽しみもある。
 老いを感じてきたら、ゆっくり進むしかない。ゆっくりであることと、待つことを楽しめるようになると、世の中が違って見える。時間に急き立てられ、ゆとりのない生活をしてきたことに気付かされる。一本電車に遅れて、約束に間に合わなかったら謝ればいい。次の電車までの間、本を読んでもいい、周りを見渡して景色の変化に気付いて、驚いたり感動したり。たまに思いがけない人に会うこともある。物思いにふけるもよし。
 効率第一、早いが一番は、生産現場では大事かもしれないが、そこにはゆとりも楽しみもない。運転ができなくなって、電車を利用するようになったら、その中で新たな出会いがあった。これまで気がつかなかった景色にハッとした。そんな話も聞いた。ゆっくりから何かが得られるかもしれない。老いによる体の変化は、時に不便を感じるが、逆手にとった豊かさを考えると、悪いことだけだとは思わない。【大石克子】

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